「おまえのウィルはどこにあるんだ!」 横文字を使いたがる意識高い系上司は日本では勝ち組になれない?
仲麻呂はそうした状況から頭角を現し、のし上がる。そのプロセスで彼の後ろ盾となった人物が光明皇后です。 この人は東大寺を建てた聖武天皇のお妃。藤原氏の出身で仲麻呂にとっては叔母にあたります。聖武天皇が亡くなったのち、娘が即位して孝謙天皇となりますが、そうすると光明皇后は、藤原氏の長にして天皇の母。宮廷でますます影響力を持つことになりました。 仲麻呂はこの人を後ろ盾として、政敵を葬り、実の兄さえも左遷に追い込んで、ついには非皇族初の太政大臣として権力を握りました。 彼が独裁権力を握った時期は10年に満たない短い期間でした。しかしその期間に、税金や労役の軽減、民の苦労を調査する「問民苦使」の派遣、官吏の育成など庶民の負担を軽減する政策を次々と打ち出していきます。 それだけだと悪疫や飢饉に苦しむ当時の庶民たちを助けようとした立派な政治家なのですが、彼はいらんこともやっている。唐文化が好きすぎるあまり、官職名も唐風に改めています。
たとえば太政官は乾政官、太政大臣は大師。「唐風に呼ぶ」というのは気取ったときにやるもので、大河ドラマにも出てきましたが、かつて右兵衛権佐であった源頼朝を「武衛」と呼んだりするのがそれ。ちなみに水戸黄門の「黄門」も、中納言を中国風に呼んだものです。 仲麻呂は公式にぜんぶ改めてしまったわけで、今でいえば「明日から内閣総理大臣は、プライムミニスターな!」としたようなものです。「それ、なんの意味があるんですか?」と、当時の官人たちも戸惑ったことでしょう。 さらに仲麻呂は、「恵美押勝」の名前をもらって、自分の家を藤原氏からも切り離し、天皇家に準ずる尊貴な家に持っていこうとした。この辺りが「結局、仲麻呂は自分の権力強化しか考えていなかった」と評される理由です。
「ビッグなウィル」はクロージングを迎え……
しかし盛者必衰はこの世の理で、彼にも没落のときがやってくる。彼の権力基盤だった光明皇后が亡くなってしまうのです。 仲麻呂もそのときのために、孝謙天皇を退位させて、彼と縁の深い淳仁天皇を立てていたのですが、太上天皇となった孝謙は僧侶の道鏡を「寵幸」するようになる。そして仲麻呂=淳仁天皇サイドと対立。 仲麻呂は道鏡=孝謙上皇を排除する計画を進めます。諸国に送る通達を改ざんし、兵士を水増しして都に動員する。その軍事力で上皇を抑える計画だったそうですが、陰謀とは、ジョインする人間をできるだけ絞り、しかもASAPに進めないと失敗するもの。