「おまえのウィルはどこにあるんだ!」 横文字を使いたがる意識高い系上司は日本では勝ち組になれない?
結局、「海外デワー」という知識が訴えかけるのはあくまで人の理性。しかし、人望あるリーダーとは、エモーショナルな領域に踏み込んで人の心を動かす存在なのでしょう。
エモさがないと日本社会で“最後の勝者にはなれない”
かつて昭和のころ、「平家、海軍、国際派」という言葉がありました。これは、「イメージはカッコよくて一時期ブイブイ言わせるが結局、日本社会において“最後の勝者にはなれない”」というカテゴリーを指します。 こうしたグループの弱点は「ハイカラ(死語)でカッコいいが、“地元の仲間との絆だいじ”みたいなエモさには欠ける」というところにあると思います。 海外事情通で一時期はもてはやされるが、最後はどん底まで落ちて滅ぶ。そうした人は古代からいました。その顕著な例、いやティピカルなケースが、奈良時代の政治家、藤原仲麻呂です。 この人は大きな業績を残した政治家であり、しかも武力で王権に挑戦しようとした稀有のチャレンジャー。しかし歴史上、政治家としても反逆者としても影が薄い存在です。 奈良時代の政治家には、持統天皇といっしょに「この国のかたち」をつくった藤原不比等という超大物(仲麻呂の祖父)がいる。 いっぽう逆臣としては、彼の直後にキャラ特濃な「怪僧道鏡」が現れるため、“その間で埋もれてしまう”という不幸な面があります。
しかし彼にも問題はあった。当時の先進国といえば世界帝国の「唐」です。仲麻呂は、後世「極端な唐風志向」(仁藤敦史『藤原仲麻呂』)と評されるほどの唐文化ファンで、よくいえば海外事情通、悪くいえば日本史上屈指の「出羽守」でした。 もともと彼は勉強ができて本もたくさん読んだ。当時の本とは、要するに中国の本です。さらに専門家から学んで算術にも強い。 今でいえば法学部を優秀な成績で卒業し、理系としても博士号を持つ、といったイメージでしょうか。しかしどうやら鼻持ちならないインテリタイプだったようで、こういう人は同時代には人望がなく、後世でも人気が出ないものです。 ただ彼は、グローバルな視野を持つ人ならではの、イノベーティブな発想の持ち主ではありました。 「それ、なんの意味があるんですか?」 藤原氏出身の仲麻呂ですが、では「けっ、恵まれたエリートかよ」かというと、そうともいえない。 まず彼は嫡子ではなく次男でした。しかも奈良時代の日本では天然痘が流行し、人口が激減するほどの大惨事となるのですが、このとき、仲麻呂の父、武智麻呂を含めた不比等の息子4兄弟がみんな亡くなってしまう。藤原氏は氏族としてピンチを迎えます。