沖縄メディアの痛切な反省「報道管制がなかったらどんな新聞を作るべきだったか」琉球新報の『沖縄戦新聞』
沖縄は79年目の「慰霊の日」が過ぎた。約20万人が命を落とした地上戦が繰り広げられたこの地では、自衛隊のミサイル配備が進む。「本土のための捨て石」とされた沖縄戦を、現在の視点でたどる『沖縄戦新聞』を発行した琉球新報の取り組みについて、RKB神戸金史解説委員長が6月25日、RKBラジオ『田畑竜介GrooooowUp』で紹介した。 【写真で見る】14日分の特別紙面が箱に入った『沖縄戦新聞』 ■琉球新報が作った『沖縄戦新聞』 RKB神戸金史解説委員長:今日は20年前の新聞を持ってきました。沖縄の新聞社・琉球新報が発行した『沖縄戦新聞』です。2005年に新聞協会賞を取ったことは知っていましたが、実物を見たのは1年前。書店で見つけて買いました(税込み880円)。「サイパン陥落」や「対馬丸沈没」、「司令部を放棄」などを報じる新聞14日分がセットになっています 神戸:戦時中の新聞は報道管制の中にあって検閲を受けていて、軍に都合の悪いことは載せられませんでした。もし当時の状況をそのまま報じたら、どんな新聞紙面になるのか。2004年から2005年にかけて「60年前の同じ日に起こった出来事を報じる」という、別刷り4ページの特別紙面を作りました(組織的戦闘が集結した6月23日のみ8ページ)。2005年の早稲田ジャーナリズム大賞も受賞している、すごい紙面です。 ■『沖縄戦新聞』1面トップ記事の見出し ※新聞は本来、出来事が起きたら翌日に掲載されるものだが、『沖縄戦新聞』は当日を再現するためにその日の日付となっている。証言した現代の高齢者は、当時の若い年齢で表記されている。 【1944年】 7月7日=サイパン陥落米軍の沖縄上陸必至か邦人1万人が犠牲県出身者は6千人 8月22日=対馬丸が沈没学童775人含む1418人犠牲米潜水艦の魚雷受け鹿児島・悪石島沖 10月10日=米軍が無差別空爆沖縄全域に延べ1400機那覇の9割焼失民間人含む668人死亡 12月14日=軍が北部疎開要求中南部老人・女性男子は防衛隊動員知事「不可能」と難色 【1945年】 2月10日=北部へ10万人疎開島田知事が移動指示「戦時行政」へ県は完全移行 3月26日=慶良間に米軍上陸沖縄戦始まる座間味、渡嘉敷で「集団死」 4月1日=本島に米軍上陸兵員18万3000人投入日本軍反撃せず「各地で集団死」 4月21日=米軍が伊江島占領住民1500人が犠牲女性も総攻撃に参加日本軍守備隊は壊滅 5月5日=日本軍の総攻撃失敗沖縄戦は事実上敗北浦添・西原住民巻き添え多数が犠牲に 5月27日=32軍、首里司令部を放棄摩文仁へ撤退組織的戦闘力を失う避難民、巻き添え必至 6月23日=沖縄戦事実上の終結米軍、占領を宣言牛島司令官ら自決南部で住民8万人保護 7月3日=「疎開船」尖閣沖で沈没台湾行き米軍機攻撃八重山でマラリア拡大 8月15日=日本が無条件降伏政府、ポツダム宣言受諾天皇が「戦争終結」放送 9月7日=日本守備隊が降伏宮古、奄美の司令官調印沖縄戦公式に終了南西諸島全域で米軍政