「広島の生ガキ」を輸出したら猛クレーム…世界を飛び回る商社マンが「離島の養殖カキ生産者」になるまで
■日本のカキをグローバル市場に売り出す サラリーマン時代から起業を視野に入れていた。もちろん水産業で。有給休暇を使って視察旅行していたのも、いつか起業するために必要な知見を広めておきたかったからだ。 早くから独立後の方向性を決めていた。海外から輸入して日本で販売するのではなく、日本で生産して海外で販売するのだ。東南アジアの最新鋭工場でシーフードが生産され、巨大なグローバル市場で消費されるダイナミズムを目の当たりにしたためだ。 起業家が好きな仕事を続けるためには支援者も必要だ。創業初期であればエンジェル投資家の出番となる。 鈴木にとって重要な支援者は、冷凍カキの加工・販売会社クニヒロ(本社・広島県尾道市)を率いていた川崎育造(74)だ。「一緒に会社をつくってうちのカキを海外で売りませんか?」と提案したばかりか、資金的支援も惜しまなかったのだ。 ■「エンジェル投資家」のおかげで資金確保 2008年、32歳の鈴木は9年間勤めた中央魚類を辞め、川崎と共同でケーエス商会(本社・広島県尾道市)を設立。資本金900万円のうちそれぞれが450万円を出す形で。 いや、厳密には共同とはいえない。川崎による個人保証のおかげで、ケーエス商会は広島銀行から最大1億円まで運転資金を借りられる体制でスタートしたのだから。 「起業してみないとなかなか分からないのですけれども、900万円で運転資金をやりくりするのは結構きついんです。本当にありがたかったです」 個人保証は出資とは違う。それでも川崎は事実上のエンジェル投資家の役割を果たしたといえる。 鈴木が夢中になって開発したのが「クレールオイスター(塩田熟成カキ)」だ。ファームスズキが世界市場を開拓するための戦略商品である。 きっかけは独立後の「クレーム事件」だった。
■「こんなひどいカキは初めて見た!」 当時、日本産のカキは基本的に国内で流通しており、海外での存在感は乏しかった。そんななか、鈴木はケーエス商会を代表して東南アジア各国を飛び回り、少しずつ顧客を開拓していた。 現地の輸入業者と一緒に飛び込み営業していたときのことだ。香港のレストランで「生きたカキはないの?」と聞かれた。 「うちは冷凍カキを専門にしています。冷凍の前段階として生きたカキは必ずあると思いますが……」 「つまりあるということ?」 「はい、絶対にあります!」 日本に戻るとすぐに広島産の生ガキを仕入れ、20~30個を箱に詰めて空輸便で送った。あまり深く考えずに。 しばらくしてクレームを浴びせられた。「こんなひどいカキは初めて見た! 身入りがばらばらだし、殻の形もとんでもなく悪い。こんな代物はお客に出せない」 ■今の広島産では「生のマーケット」で勝負できない 面食らった。日本で一番有名な広島産がそんなに悪いはずがない……。 「何が悪いのか教えてください」 「うちではアメリカやヨーロッパ、オーストラリアから生ガキを輸入している。それと比べたら全然駄目」 ここで初めて気付かされた。海外は圧倒的に「生のマーケット」であり、カキの食べ方も養殖方法も全く違うという事実に。グローバルに打って出るなら生食用カキの最高峰を目指さなければ駄目だ! 日本ではむき身に火を通して食べる文化が一般的であるのに対して、海外では生食用カキが殻付きのままで流通している。一流レストランやホテルで提供される高級品としても扱われるから、殻の形もきれいにそろっていなければならない。 夢中になる対象を見つけた若き起業家。となれば次に必要となるのは舞台だった。ジョブズがパソコン開発に夢中になり、そのための舞台として自宅ガレージが必要となったように。 「クレーム事件」から数年後の2011年5月、鈴木は民宿に泊まりながら広島県内を福山市から廿日市まで旅していた。生食用カキの最高峰を生産するための舞台を求めて。 途中、大崎上島行きのフェリー乗り場が目に入った。船でないと渡れない離島にロマンを感じ、すぐにチケットを購入してフェリーに乗り込んだ。