「セクシー田中さん」の報告書に決定的に欠けている“問題の本質”
ビジネス的には数字(視聴率)がとれるとか、SNSでバズるために演出が求められる場合がありますし、原作内容がハードだったり、視聴者が離れそうなところでは、共感が得られるような改変が必要な場合もあります。当然ですが本打ちではそういった1つひとつのことが細かく議論され、理由があってプロットが生まれています。 しかし報告書から読み取れることは、そういった改変が提案された理由は漫画原作者側に伝えられていません。説明責任が果たされていないわけです。
原作者の側が大きな問題とした第3話の「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」シーンは報告書から推察するに演出上の理由でしょう。露出の多い派手な衣装のほうが映えるのでそう決めて、脚本家はその会議での決定事項を脚本に明記します。 こういった合議で決められたことに対して、原作者は脚本家の仕業であると認識していたために、徐々に脚本家を強く非難するようになっていきます。 ■伝言の間に入るひとたちが問題を深刻化 ここで読み取れる問題は、伝言の間に入るひとたちが、意図しない形で問題を深刻化していることです。原作者の要望は編集者からプロデューサーにメールで伝えられます。その際、ワードで書かれた文章の失礼な物言いになる箇所はトーンを編集者が和らげたうえで、メール本文にも「希望です」など意図を和らげる文言が加えられていました。プロデューサーから編集者への連絡は主に電話で行われ、何が話し合われ、双方で何を了解したかについては今では証言が食い違っています。
このやり取りの中で日テレのプロデューサーが初めて「揉めた」ことを認識したのは第4話のエピソード入れ替えが原作者から拒否されたときで、そのときはじめて修正のない言葉通りのワードファイルを送ってもらい、原作者の強い憤りを理解します。 「直接会って話し合えばいいじゃないか」と思える箇所ですが、本件では原作者がそれを拒否しています。一方で原作者からの指摘についても脚本家は厳しい口調の指摘をそのまま読むのはつらくなったという理由で、プロデューサーに咀嚼して伝えてほしいと要望します。