石破茂首相、衆院解散を言及で批判殺到「大っ嫌い」と公言した因縁の“兄弟子”との行方
因縁がある2人
この田中元首相の直系である2人には、因縁がある。 「1988年のリクルート事件で政治不信が高まっていたことから、政治改革の必要性が叫ばれていた。当時34歳だった石破さんは、1991年に『政治改革を実現する若手議員の会』を結成し、その代表世話人に就任。1993年、当時の首相だった宮沢喜一氏の自宅へと押し掛け、改革の必要性を直訴したこともありました」 国会で宮沢元首相への不信任決議案が提出され、石破氏は賛成票を投じて離党。改革のため“政界の壊し屋”で“兄弟子”の小沢氏が立ち上げた新進党(※入党時は新生党)に参加した。 「石破さんは、減税をする税制改革と憲法改正を訴えていた小沢さんに、かつての自民党が失いかけた光があると思って追いかけた。しかし、小沢さんを中心に、党内では権力闘争が行われるだけ。石破さんが政策を訴えても、それが反映されることはなかった。そうした小沢さんの手法に嫌気がさし、離党します。自民党に出戻って、内部から変革する道を選ぶのです」 石破首相は、当時を自身のブログでこう述懐している。 《小沢氏の本質が見抜けなかった不明を恥じます》 自戒を込めつつ“兄弟子”を批判するが、こうも語っていたという。 「石破さんが初当選したとき、小沢さんは雲の上の人。ある意味、憧れの存在でもあったはず。石破さんは過去にいろいろあって、小沢さんを“嫌い”と言うが“小沢さんと会って、過去のことを話したい”とも言う。過去にあったさまざまな騒動が、現在の政治に影響を与えているから。何があり、何が問題だったのか、明らかにすることが日本をよくするヒントだと考えている。小沢さんにしてみれば“この小僧が”くらいにしか思っていないのかもしれませんが」 小沢氏はSNSで、 《政権交代で石破内閣を「史上最短内閣」にすべき》 と痛烈に批判する。この戦い、制するのは、兄か弟か――。