死は怖くないですか? 意識をコンピュータにアップロードできれば、そこにはデジタル不老不死の世界が!
意識を宿す脳は、すこしばかり手のこんだ電気回路にすぎない。であれば、脳の電気回路としての振る舞いを機械に再現することで、そこにも意識が宿るに違いない。多くの神経科学者はそう考えている。 問題は、ヒトの意識のコンピュータへの移植、いわゆる「意識のアップロード」である。仮にそれがかなえば、ヒトが仮想現実のなかで生き続けることも、アバターをとおして現世に舞い降りることも可能になる。どちらを選択しても、生体要素が一切排除されるため、死が強制されることもない。 はたして意識のアップロードは原理的に可能か? その技術的目処は立っているのか? この研究を続ける渡辺正峰氏の最新刊『意識の脳科学――「デジタル不老不死」の扉を開く』から一部を抜粋して紹介する。
順列都市
自らを被検体に、意識のアップロードをくり返す開発エンジニアのポール。アップロードのたびに彼の意識は二分され、片方は身体にのこり、もう片方はコンピュータの担う仮想現実に召喚される。数えること5度目の実験、幸運にも、過去4回とも身体の側に残りつづけた主人公のポールではあったが……。 肌触りのよいシーツの上で夢からさめると、朝日が窓から差し込んでいる。一体、いつどうやって眠りについたのか。底知れぬ不安が頭をよぎる。ゆっくりと、しかしやがて、ある想いに辿り着く。ついに仮想現実に囚われてしまったのだと。 覚悟はできていたつもりだったが、まったく甘かった。彼は愕然とし、絶望し、かつて同様に囚われた自身の分身たちが皆そうしてきたように、自殺レバーへと向かう。それは、仮想世界において義務付けられているものだ。だが、そのレバーを引いた途端、それは根元から折れてしまう。外界に居残るもう一人のポールを呼び出し問いただすと、「次々と自殺されてしまっては実験にならない」と、彼がプログラムを書き換え、レバーを無効にしたことを告げられる……。 このような怒濤の展開で幕をあけるグレッグ・イーガンのSF小説『順列都市』が世に出てから早や25年、ようやく科学や哲学の世界でも意識のアップロードが取り沙汰されるようになった。 仮に意識のアップロードが現実のものになったなら、あなたはアップロードされたいと思うだろうか。もちろん、ポールのような開発用の人柱としてではなく、一人のお客さんとして。