日本海軍「最強空母」、じつは「巨大客船」を”改造”して作っていた…! その「ヤバい開発秘話」と「知られざる物語」
太平洋戦争前夜、日本商船史上最大の豪華客船になるはずだった「橿原丸」「出雲丸」は、なぜそれぞれ空母「隼鷹」「飛鷹」に改造されたのかーー。正規の空母と比べても遜色のない活躍をみせた天下無双の「改装空母」を大特集した老舗軍事雑誌「丸」11月別冊(潮書房光人新社)がいま話題になっている。 【画像】軍事誌発『伝説の航空機本』が描いた「世界航空機イラスト」が凄い…! 元海軍技術少佐で艦艇研究の泰斗、福井静夫氏(三男・威夫氏は元ホンダ社長)が半世紀前に同誌に寄稿した内幕は、航空機が主導権を握った第二次世界大戦下での列強による「商船空母」改造事情を生々しく伝える。世界も刮目した日本の改造技術とは。伝説の造船官が綴った手記などから一部抜粋・再構成してお届けする。
貨物船にはない大型客船と空母の相性の良さ
巨大船、とくに大西洋航路の大型高速客船の空母化は、第一次大戦以来、しばしば論議の対象となっていた。1923年ごろ、日本海軍の造船基本設計主任官として著名な造船少将・平賀譲博士(のちの東大総長)が第一次大戦後の欧米造船界を視察した際、旧知のイギリス海軍造船局長はさかんに、平賀に商船の空母化を勧め、自己の試設計すら提示した。空母化に向け、「適当な考慮をはらって商船を建造すれば、立派な空母になりうる」と主張した。 そもそも大型客船と空母とは相性がよかった。空母化にはいくつかの必須条件があるが、例えば、「速力24ノット以上」であれば貨物船には望めない。飛行甲板の長さや広さにも適している。 特設艦を艤装する際の最大の問題となる「居住区」についても、固有乗員数が少ない商船は多くの居住区を新設する必要があるが、大型客船なら新設の問題は生じない。
空母予備軍の「日本最大級の豪華客船」
日本海軍が有事の際に安易に空母化できる優秀客船の保有を切望するようになったのは第一次大戦後のワシントン軍縮会議以降のことだ。アメリカの客船にそれらしいものがあったことに刺激されたためもある。 昭和のはじめにサンフランシスコ航路の新客船を建造する機運が高まり、この流れを利用したのが日本海軍と日本郵船だった。海軍は改造空母にメドをつけ、日本郵船は多大な補助金を受けて大型客船の建造が可能となった。約1万7000総トン、20ノットの「秩父丸」「浅間丸」「龍田丸」の3船が海軍の便宜を受けて建造されたが、空母化に向け改造する前に沈没した。 日本郵船は3船の完成後、2万7000総トン、24ノット級の日本最大級豪華客船「橿原丸」「出雲丸」を計画した。これは空母としては絶好のものであり、海軍は3~4万トン、トップ・スピード25ないし27ノットを希望した。