能登地震半年、鎮魂と復興の「あばれ祭」開催へ もう一度この土地で生きていく移住者一家
能登半島地震で被災した石川県の奥能登地域の伝統祭礼「キリコ祭り」の先陣を切って、奇祭として知られる能登町の「あばれ祭(まつり)」が7月5、6両日に開かれる。当初は開催が危ぶまれながら、人々の強い思いで行われる今年の祭りは、半年前の地震で亡くなった人々の鎮魂、そして復興への祈りが込められている。地震で中学1年の次男を亡くした移住者の一家も、祭りで培われた地域のつながりを支えに、もう一度この土地で生きていこうとしている。 【写真】森進之介さんの次男の銀治郎さん ■「僕たちの誇り」 「この半年間、本当にいろいろな方々から支援をいただき、おかげさまで前に進めると思っています」 30日午後、東京都内で開かれた復興支援イベント。登壇した能登町定住促進協議会の事務局次長、森進之介さん(43)は、万感の思いを込めて言った。 1月1日、次男の銀治郎さんを亡くした。中学1年。享年13。 ユーモアがあり、中学校では学年関係なく生徒に慕われた。所属するソフトテニス部では「将来のエース」と目されていた。 亡くなるひと月ほど前、町教委主催の「私が町長だったら作文コンクール」で優秀賞に選ばれ、表彰された。題名は「能登町自然いっぱいの都会化計画」。家族で移住してきた経験をもとに、自然豊かな奥能登の魅力を発信し、移住者を増やして、町を「自然いっぱいの都会」にしようという計画だ。 この日のイベントで一緒に登壇した町職員で、今春まで森さんの上司だった男性は、集まった110人ほどの聴衆に黙禱を呼びかけ、言った。 「銀ちゃんは、僕たちの誇りです」 ■奥能登に魅せられ家族で 森さん一家は平成27(2015)年11月、金沢市から移住してきた。金沢で生まれ育った森さんは当時、広告デザイン会社で働いていた。「北陸新幹線の金沢延伸バブルに沸いて、業績も上がっていた。一方で、エナジードリンクを飲んで徹夜して、家族との時間は減っていった。誰のため、何のために働いているのか、分からなくなってきた」 体調も悪化し始めた。そんなとき、仕事で能登町を訪れた。