能登地震半年、鎮魂と復興の「あばれ祭」開催へ もう一度この土地で生きていく移住者一家
「澄みわたる海、豊かな新緑、笑顔とゆとりあふれる農家の人たちや子供たちを目の当たりにして、価値観や環境のあまりの違いに驚いた」
体調はいよいよ悪くなり、仕事を休んだ。休養中、金沢から車で2時間かけて、あの海を目指した。小学校以来、十数年ぶりに釣りをした。穏やかな海を眺め、体調がよくなるのが自分で分かった。
町が事務局を務める移住・定住者の受け入れ機関で移住コーディネーターの職が見つかり、移住した。夕方5時15分に退庁し、5分後には目の前の港で釣り糸を垂れた。
「釣れた魚を近所へおすそ分けしたら、野菜や子供たちのおやつになって返ってきた。クリスマスにはイカがケーキになった。子供たちも海や山で遊び、能登弁も使うようになった。町内会へ入り、地域のキリコ祭りも参加した。子供たちも太鼓や鐘を鳴らした」
移住コーディネーターは、都市部の移住希望者と、町内に193ある集落とをつなぐ仕事だ。森さんは9年間で493家族898人を集落へ案内し、187家族320人が実際に移住した。移住者から34人の子供が生まれた。
次男の銀治郎さんもよく、父が移住者を集落へ案内する際についてきた。彼の「自然いっぱいの都会化計画」も、そうした経験の積み重ねから生まれたようだと父は言う。
森さんはやがて自分の集落で、祭りの「役」を任されるようになった。「やっと能登の男になったな」と言われるようになった移住9年目の元日、能登半島地震が起きた。
■消波ブロックの上を搬送
森さん一家がいた海岸に近い瓦屋根の家は倒壊し、1階部分がつぶれた。森さんは倒壊家屋に挟まれ、骨盤骨折の大けがをした。
「意識が遠のく中、本気で覚悟した」
そのとき、近所のおじいさんとその息子が駆けつけてきた。津波警報が鳴り響く中、まず無事だった当時中3の長男と小3の長女を安全な場所へ避難させてくれた。地元の消防団員たちは道路が寸断される中、森さんをストレッチャーに乗せて、海辺の消波ブロックの上を病院のある地区まで運んでくれた。