能登地震半年、鎮魂と復興の「あばれ祭」開催へ もう一度この土地で生きていく移住者一家
ドクターヘリで金沢の病院まで搬送され、入院。骨盤を固定する手術を受け、退院できたのは3月になってからだった。
「集落の人たち、地元の人たちに生かしてもらった。ありがたいって言ったらなかった。そのとき妻と一緒に話した。絶対にあの集落へ戻ろうと」
住民たちは避難所に身を寄せ合い、自宅から引っ張りだしたおせち料理を分け合った。
■子供たちへ残したい
森さんらは、そうした地域のつながりを育み、培うのが「祭り」だという。
能登町内では年間116の祭りが行われており、3日に1回は、人口約1万5千人の町のどこかで祭りが行われている計算だ。子供たちは赤ん坊のころ首が座る前から、お年寄りはシニアカーに乗るころになっても、祭りに参加する。
祭りは集落ごとに「キリコ」と呼ばれる奉燈やみこしの担ぎ方、笛の音などが微妙に異なる。とりわけ町の中心部、宇出津地区のあばれ祭は、350年以上続く奇祭として知られる。
森さんも例年、「人足」と呼ばれる担ぎ手の一人として参加し、銀治郎さんら子供たちは縁日を回る「屋台遊び」を楽しみにしていた。
今年の祭りは、キリコやみこしを作る製材所や工務店が被災するなど開催が危ぶまれたが、例年通り行われる。ただ、地震の影響で昨年参加した36町内会のうち4町内会は不参加。駐車場や宿泊施設の確保が難しいことから、今年は地元の人たちを中心に復興を祈る祭りとなるという。森さんも腰のけがのことなどがあり、今年は裏方で支える。
「地震では悲しくてつらくて、怖い思いをした。でも、それ以上に地域の人たちのありがたさを感じた。能登のありがたみを知った。銀治郎が育った土地、大好きな友達がいる能登町を必ず復興させたい。この能登を子供たちへ残したい」
森さん一家は5月中旬、もとの家の近くで、みなし仮設住宅での生活を始めた。