大家族養う手作りせっけん ウガンダの難民「努力すれば自立も」
アフリカ最大の難民受け入れ国・ウガンダに逃れてきた人たちは避難生活が長期に及ぶ中、家族を養うため新たなスキルを学び、手に職をつけようとしている。見ず知らずの土地に根ざし、支援団体の後押しも受けて懸命に生活の立て直しを図っている。 【写真特集】内戦から逃れ、ウガンダで暮らす難民 「せっけん作りは最初は難しかったが、次第に自信を持って作れるようになった。今では家族を支える大切な仕事になっている」。土壁の質素な住居が点在するウガンダの難民居住区。住居の軒先で、実子4人を含む12人家族のアチャヨさん(40)=仮名=が、たらいに注いだせっけんの材料を棒でかき混ぜていた。 アチャヨさんは4歳前後だった1980年代後半、南スーダン(当時はスーダン)から逃れてきて、三十数年がたつ。自宅が何者かの襲撃を受け、父親は銃撃されて死亡、母親も行方不明になった。自身は茂みに投げ込まれて難を逃れた。その後、避難する女性たちと連れだって4日間歩き続け、ウガンダにたどり着いたという。 南スーダンは、半世紀にわたるスーダン国内での北部と南部の民族対立などを経て、2011年にスーダンから分離・独立した。独立後も政情は安定せず、13年以降は政府軍と反政府勢力による内戦で大量の難民が生じた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、24年10月末時点でウガンダに周辺国から流入した難民約172万人のうち、アチャヨさんのような南スーダン出身者は約96万人を占める。 ウガンダでアチャヨさんは養父から繰り返し暴力を振るわれて家を離れ、14歳で同じ南スーダン難民の男性と結婚した。07年には行方が分からない母親を捜すため夫や子を連れて南スーダンへ帰郷。しかし、再度襲撃を受け夫が犠牲になり、自らも腹部を撃たれて大けがをして、14年に再びウガンダに逃れてきた。家事手伝いで得られる収入はごくわずか。長年にわたり1日1食という窮乏生活を余儀なくされた。 抜け出すきっかけは支援団体との出会いだった。23年3月から、難民の自立を後押しする国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン」のプログラムに参加して商売のやり方を学び、資金援助も得た。友人からせっけん作りの業者を紹介してもらって製法を習得した。 ◇暮らしぶり徐々に余裕生まれ 子どもたちにカセイソーダや植物性油脂など材料のかくはんを手伝ってもらいながら、手作りした固形や液状のせっけんを学校に薦めるなどして少しずつ販路を開拓。「今では五つの学校やレストラン、小売店が買ってくれている。首都カンパラ近郊のホテルにも届けている」と喜ぶ。 商売の進展とともに暮らしぶりにも徐々に余裕が生まれた。かつては日々をしのぐことで精いっぱいだったが、収入が増え、月20万ウガンダシリング(約8000円相当)を貯金できている。 近所の子どもたちと遊ぶのを嫌がっていた5歳の末娘スーザンちゃん(仮名)は友達の輪に加わるように。「以前は貧しかったためきれいな靴や服を買ってあげられず、疎外感を覚えていたようだ。友達と遊べるようになり良かった」と安心する。 今後の目標はせっけん販売の拡充だ。固形せっけんであれば現在は週40個を手作業で作っているが、機械を導入して週5000個に増産したいという。難民向けに手作りせっけんの製法の普及にも取り組む。 アチャヨさんは「目標を持って努力をすれば、自立することもできる。事業を成功させて、自立する難民の先例になれたらうれしい」と意気込んでいる。【ウガンダで郡悠介、写真・滝川大貴】