「僕と愛を引き離したい人がいたんじゃないかな」 失神バンドの栄光とその後 盟友の失踪脱退の真相は GS「オックス」ボーカルの真木ひでとさんインタビュー
「やっぱり東京に行きたかった」
ーーオックスに加入した経緯は? ひでと:評判を聞いたバンマスの福井利男さんからナンバ一番に電話が入り、近所の喫茶店でお話しすることになりました。東京進出するためにメンバーを集めているということで興味はあったんですが、その時はまだバックボーンに入れてもらって3カ月くらい。今、抜けるわけにはいかないとお断りしました。でも福井さんは諦めずに何度もアプローチしてくるんです。知らなかったけど、母親のところにも行ったりしてたみたい。1967年12月、漫画トリオの梅田コマ劇場公演に出演した時も観に来てくれて、あらためて誘われたんだけど、その頃、僕はコントでけっこう重要なポジションを任されていました。ノックさんの頭を洗面器で叩きに行く役(笑)。とても良くしてもらっていたので、抜けると言ってもノックさんが許してくれないだろうなと。 ーーオックスに行きたいという気持ちはあったんですね。 ひでと:はい、本心ではやっぱり東京に行きたかった。後日、オックスのライブに顔を出したんですが、演奏を聴いていたら心が動いていくんですね。断るために楽屋に行ったのに、メンバーたちから「ぜひ来てくれ」と懇願されて、無理やり衣装やブーツのサイズを測られたりしてるうちにもうやるしかないと。それで恐る恐るノックさんにお話に行ったんところ、「東京行けるんか?じゃあいいわ」といとも簡単に移籍を認めてくれたんです。年末の千秋楽まではバックボーンとして漫画トリオのバックを務めて、翌年1月1日からオックスのナンバ一番公演に合流しました。 ーーオックスのレコードデビューは1968年5月5日。加入からデビューまでとんとん拍子ですね。 ひでと:1月後半から来日したザ・スプートニクスの前座で関西中を回って、大きな反響がありました。アンプを倒したり、楽器を壊したり、そこまで過激なパフォーマンスをしているバンドは他に無かったから目立ったんですね。さっそくビクターの担当者とゼネラル・アート・プロデュース(のちホリプロに吸収)の社長がスカウトに来て、3月初めには東京でデビュー曲のレコーディングが始まりました。 ーーそれが『ガール・フレンド』ですね。 ひでと:はい、デモテープでは『おんな友達』というタイトルでした。さっそく聴いてみたんだけど、仮歌がすごく下手でね…。「果たしてこんな曲が売れるんだろうか」と不安になったんですが、後で聞いたら作詞・作曲を担当した橋本淳さんと筒美京平さんが歌っていたそうなんです(笑)。今思えばすごく貴重なテープなんだけど、残念なことにどこかに失くしてしまいました。