「僕と愛を引き離したい人がいたんじゃないかな」 失神バンドの栄光とその後 盟友の失踪脱退の真相は GS「オックス」ボーカルの真木ひでとさんインタビュー
各地で失神騒ぎ、PTAや教育委員会からバッシング
ーーともあれ晴れてデビューして東京進出。反響はいかがでしたか? ひでと:3月17日に梅田「花馬車」で大阪さよなら公演を終えて東京に移ったんですが、初めは全然仕事がありませんでした。既にタイガースやテンプターズが人気を博していて、グループサウンズブームの真っ盛り。東京には雨後のタケノコのようにバンドがひしめいていたんですね。東京で一番有名だったジャズ喫茶「銀座ACB」に出たかったけど、なかなか出番が回ってこない。ジャガーズさんが交通事故に遭った穴埋めで、川崎のフロリダというゴーゴーホールに出演したのが初仕事でした。 その後、レコードも発売され、地道にやっているうちに少しずつお客がついてきて、6月23日には有楽町ビデオホールでファンクラブ結成イベント。この日、たまたまタイガースが地方公演に出ていたそうで、予想以上のお客さんが詰めかけました。これが噂を呼んだのか、9月にはワンマンでジャズ喫茶を埋められるようになり、『ガール・フレンド』がランキングのトップ10に。メディアも取材に押しかけました。 ーー瞬く間にザ・タイガース、ザ・テンプターズと並んでグループサウンズブームの頂点に。この頃から「失神バンド」と呼ばれるようになったわけですね。 ひでと:そうですね。『テル・ミー』を演奏しながら僕と赤松愛が失神するというパフォーマンスは以前からやっていたんだけど、9月14日の日比谷公会堂公演からはお客さんまで失神するようになりました。それをメディアが書き立てるものだから、「オックスのライブに来たら失神する」みたいなイメージが広まって、みんな『テル・ミー』じゃなくても失神しちゃう。各地で失神騒ぎが起きて、PTAや教育委員会にバッシングされる原因になってしまいました。 ーーオックス版『テル・ミー』はどのように生まれたのでしょうか? ひでと:バックボーン時代から歌っていたので、オックスでもすぐレパートリーに加えました。初めは栗山純というボーカルと二人で歌っていたんですが、ほどなく脱退してしまったので愛と歌うことに。人気曲だったので、東京に来てまだ仕事が無い時期に愛と相談してどんどん演出を練っていきました。間奏で僕が台詞を語っているあたりまではまだ冷静なんですが、後半から僕と愛のバチバチした掛け合いが始まる。そしてラストのサビのリフレインでどんどん陶酔して、楽器を壊したりして、最後はベースの循環コードの中で僕と愛だけが歌い続けているという流れです。もの凄く緊張感があった。当時はそこまで分析してなかったけど、あのアフリカンリズムのようなシンプルなリズムの繰り返しも、人を暗示にかける作用があるようです。今、バックバンドの演奏で『テル・ミー』を歌っても、あんな感じには絶対ならない。オックスの演奏で、僕と愛がいたからなし得た現象でしょうね。