花鳥風月からユニバーサルデザインへ「日本酒ラベルの装い」
50年近く酒ラベルを蒐集し、約2万点にもなる石田氏の所蔵品を温ね、令和に引き継がれた、日本の美学を知る。日本酒はその装いにもこだわりを魅せる。 【関連画像】花鳥風月からユニバーサルデザインへ「日本酒ラベルの装い」 (※その他の写真は【関連画像】を参照) ■この記事を書いた人 石田信夫(いしだのぶお) 1952年広島市生まれ。中国新聞社論説副主幹を経て、2010年比治山大学教授。現名誉教授。20代より酒ラベルを収集。2021年には「筆の里工房」で「酒票の美ー文字と意匠」開催。著書に『海のかなたに蔵元があった』(時事通信社)など。 ■樽を彩った浮世絵の情趣 一升瓶で磨かれた伝統意匠 日本酒のラベルはまさに、「装い」というにふさわしい。始まりは、明治時代の木版多色摺り。浮世絵のように美しく、そのDNAはのちに引き継がれていく。 それ以前は型摺りだった。樽の本体や、かぶせる菰に、型紙を当てて墨を摺り込む。地味だった。それを一変させたのが、明治5、6年頃に現れた紙のラベルだ。 はじめは2、3色だったが、どんどん色数が増え、絵柄が大胆になり、豪華な多色摺りの競演となった。満開の桜や、咲き乱れる菊。あるいは鶴亀、松竹梅など縁起の良い柄が喜ばれた。 この時期、チラシやラベルなどはほとんどが木版摺り。その中でも美しさを旨とする樽貼りは蔵元が力を入れ、それ以上に、江戸時代からの技を継ぐ職人たちが腕を揮った様子がうかがえる。明治10年代には、10色以上で、グラデーションにも冴えを見せる美術品のようなラベルが生まれた。 20年代になると印刷が容易な石版(のちに亜鉛版)に移り、30年代には木版は消えていく。花鳥風月の趣が漂うデザインの基本は変わらなかったが、流行りのアール・ヌーヴォー風が採り入れられたり、伝統柄に「近代」風の味付けが加わったりした。 30年代初頭には一升瓶の国産化が始まり、ラベルも大きな変化を迫られた。大きさは樽貼りの約3分の1に狭まり、棚に並べると見える幅は15㎝前後。そこでどうやってアピールするか。 考え出されたパターンがある。絵柄を控えめにして正面に白地の「窓」を開ける。そこに大きく銘柄を据えるレイアウトだ。大正から昭和にかけて一般化した。 戦争を潜り抜けた高度成長期には、デザイナーのセンスも磨かれた。伝統的な絵柄もベタな感じは消えて、意匠として洗練される。ひげ文字の書体もキレが良くなった。「昭和クラシック」ともいうべき優品が各地に生まれる。 平成になるとデザインは後退し、無地に筆文字のみの少し寂しいラベルが主流になった。一方、その反動でデザイン復活の兆しもある。「令和の装い」が待たれる。 ■■芸術性を高めた 明治の木版摺り 鮮やかな赤が特徴。三重県で生まれ関東に広がり、今のラベルの原点となった。残っている現物は少ない。確認しているのは約230種類。 ■■キレとまとまりの 昭和クラシック 酒銘のイメージとなる雅びなデザイン展開に工夫が凝らされている。「窓枠」の趣向も面白く、白帆や勾玉、桜や菊の花弁、酒壺などが読み取れる。 文・画像提供/石田信夫