MAZZELのNAOYAが語る、「音楽」で世界を目指すために歩んできた道、BMSGとの運命の出会い
MAZZEL加入前の7年間
―MAZZELに入る前、12歳の頃から事務所に所属していた7年間は、NAOYAさんにとってどんな期間でしたか。 楽しかったけど、めちゃくちゃつらい時期だったかなと思います。友達にはすごく恵まれて、そこでできた友達とは今でもずっと仲良しなので、そういった面では経験してよかったなと思うんですけど。鋭い言葉を刺されることもあったので、「経験してよかったけど、経験したくもなかったな」と思います。最後、辞める頃は、自分の実力にも魅力にもまったく自信がない状態でした。 ―7年間もデビューを目指して頑張ってきた中で、「もう少しでデビューできるんじゃないか」という可能性もすべて捨て切って退所することは、当時のNAOYAさんにとってかなり勇気の要るデカい決断だったのでは? めちゃくちゃデカかったです。まだそこで頑張ってみることも考えたんですけど、やっぱり絶対に世界へ行きたかったので決断しました。自信をなくしてはいたものの、「自分は行ける」と、心のどこかで信じていたのだと思います。 ―自分の魅力を否定されて悔しいだけじゃなくて、きっと他にもいろんな感情が渦巻いていたんでしょうね。 そうですね。嫉妬の怖さを学んだというか、「芸能界ってこういうところなんや」と思うこともたくさんありました。だから逆に嫉妬されているのであれば、もっと嫉妬させてやろうと思って、もっと売れたい、もっと上に行きたいと思ったんですけど、なかなか上に行けない時期で。上に行くにはどうしようと考えた時に、「ここは自分にとって強みやと思うねんけど、なんで認められへんねやろう」と思っていたところを認めてくれる大人や、自分の才能を見つけてくれる人を探しにいこうと思ったんです。 ―周りから何を言われても、自分が自分を信じてあげることをやめなかったんですね。 ああ、本当にそうですね、そういうことです。「自分で思ってるよりも、人から見たら自分には実力がないんや」と思っていたので、辞めてからはダンスを一から学び直そうと思って、小学生のダンスレッスンに大学生の僕が参加したりしてました。めっちゃ恥ずかしかったですよ(笑)。歌も、毎日のようにカラオケに行ったり、YouTubeを見たりオンラインでレッスンを受けたり。家も改造してダンス部屋を作ったり、棚をボーカルレッスン調にしたり……色々やってました。事務所を辞めることは親から反対されていたので、「全部自分のお金でやるから」と言って、その時にかかったお金は全部自分で負担してました。 ―大学にも通われていたんですよね? はい、大学も通ってました。経営学部で、簿記の資格も取りました。将来、自分が学んだことや自分が経験したつらいことを踏まえて、会社を設立したり誰かをプロデュースしたり、自分が昔やりたかったことをやろうという人生設計があって、そのために経営を学んでおこうと思って入りました。 ―それはもう日高さん(SKY-HI。MAZZELが所属するBMSGの代表取締役CEO&プロデューサー)じゃないですか。同じようなことを、日高さんと出会う前から考えていたんですね。 そうですね。いつかはプロデュースとかをしたいと、今も思っています。 ―今も大学は通われているんですか? 2年生に上がる時に休学しました。めちゃくちゃ頑張って入ったので、ここで辞めたらもったいないなと思って。芸能活動をさせたいという親ではなく、自分がやりたくてずっとやっていたので、ちゃんと一人の人間として親を安心させてあげたいという気持ちがあって、ちゃんといい大学に入ることはマストとして決めていたんですよね。大学に入ってから自分が一番やりたい芸能活動を目指そうと思って、受験勉強は死ぬほど頑張ってました。自分の気持ちとしては絶対にこの夢を追い続けるけど、芸能界の仕事には波があることもわかっているので、安心材料にもなればいいかなと思って一応休学という形を取っています。 ―世界を目指すために事務所を辞めて、親を安心させるためにも大学に入って……入学後には、韓国の事務所からデビューに向けて一段ずつ階段を上がっていましたよね。 そうです。しかも、もうデビューが決まっていたんですよ。でも、お断りしました。 ―2022年に開催されたNizi Projectのオーディションも受けられてましたよね? そうなんです。あの時は本当に、韓国の事務所しか目指してない時期でした。