すっかりエンターテインメント化してしまった都知事選、日本における「東京の真の役割」とは何なのか?
彼の言う「地方国」にいれば、周りの多くは早く結婚し、子どもも早く持つ。そうすると、なんとなく一人だけ独身でいるのも居心地が悪い。親族が心配して、結婚を勧めてくるというプレッシャーにさらされる。その結果、結婚したほうがいいかなあと思うようになる。 一方、「東京国」にいれば、結婚していても独身でも、同じように行動できるし、一人で出かける場所もあり、おひとり様ディナーに何の違和感もない。仕事もあるし、遊びもできるし、同じような仲間もいっぱいいる。居心地は悪くない。「結婚ねえ、したくないわけではないけど、今困っていないし」と思っているうちに、年齢が上がってきて、「まあいまさら無理に相手探しても、結婚しなくても、まっいいか」となる。
■東京は解放された「ブラックホール」? 私はこの例のほうが多数派だと思うのだが、もしそうだとすると、東京はとてつもないブラックホールであることになる。 合計特殊出生率という「特殊な」統計的数値はミスリーディングで、東京の出生に関する過小認識をもたらしている、という彼らの認識の正反対で、合計特殊出生率に現れている東京の低さ以上に、それを大幅に上回る出生率の低下の原因を「東京」への移住がもたらしているのである。
つまり、前述の50人の移動によって、移動しなければ、地方国で結婚出産していた可能性が高かった女性が、東京国へ移動することによって、生涯未婚(あるいは20代未婚)であることを選択するようになった、ということを意味するからである。純粋に50人子どもが減ったのである。 この前提もまた極端であるが、現実は中里准教授の数値例と私の前提の間ぐらいにあるであろう。しかし、それでも50人の半分なら25人の子どもの純減であり、合計特殊出生率に現れているよりもはるかに大きな、東京の「ブラックホール効果」が存在することになるのである。
上で、合計特殊出生率と女性人口当たりの出生数とに違いが生じると述べたが、その理由は、合計特殊出生率は15歳から49歳までの女性を5歳ごとに分け、それぞれのグループ内での出生数の比率を、各5歳ごとの集団の母数を考慮せずに、つまり加重平均せずに単純平均しているのであり、人口当たりの出生数は単純に15歳から49歳までの女性の全人口とその出生数の比率を取っている。 その結果、15~19歳、20~24歳、25~29歳の実際の女性の数が少ない地方では、その年齢層の女性の出生率は高いので、合計特殊出生率は高くなるが、実際の出生数は少なくなる。逆に、東京では、15~19歳、20~24歳、25~29歳の層の出生率が地方に比べて極端に低く、その数字が足を引っ張って、合計特殊出生率が低く出るが、20~29歳の女性の人口自体は地方に比べて圧倒的に多いので、率は低くても出生数自体はそれなりの数があることになる。