阪神・藤川球児新監督が明かす「史上最速1000奪三振」達成の年にグラブに刻んだ「3文字」の言葉
金本監督の言葉で目が覚めた
「カネさん、僕、やっぱり無理なんじゃないですかね」 最終戦を控えたある日、僕は金本監督に直接、胸の内を打ち明けた。 「やめたほうがいいんじゃないかって思うんです」 金本監督なら、変になぐさめたりせず、僕がマウンド上で決定的な醜態をさらす前に引導を渡してくれそうな気がしていた。だが、僕の弱音を耳にしても、金本監督の表情に驚いた様子はなかった。 「何を言うてるねん。おまえは去年、ほとんど投げてないやろ」 アメリカから帰国したあと、高知ファイティングドッグスに所属して独立リーグのマウンドには立ったものの、プロの公式戦という意味では、5月、レンジャーズで2試合に登板しただけだった。 「いくらおまえでも、すぐにうまくいくはずはないよ。だから、2年契約にしてもらったんや。やめるなんて、許さん」 金本監督のもとでは、僕に進退の自由はなさそうだった。 「また迷惑をかけるかもしれませんよ」 「いや、おまえよりいいボールを投げるピッチャーは少ないよ。球児、結果が出てないのは、ボールが悪いからじゃない。状況に体が追いついてないからや。おまえ以外は、プロの世界で動き続けてきたやつばっかりやろ。止まった時間を取り戻すのは簡単じゃない。でも、必ず取り戻せる。落ち着いてやれ」 そう励ましてくれた金本監督の言葉に、僕は思い当たるものがあった。たしかに、そのシーズンの僕のボールは決して悪くなかった。 マウンド上の僕は一種の興奮状態にあって、自分が投げたボールを覚えていないことが多い。だが、不思議なもので、無意識のうちに対戦データは蓄積されている。 毎回、僕はそのデータを参照しながら、球種やコースを組み立てていた。さらに、1球ごとに腕の振りや体の開き、リリースポイントなどを変えていた。そうした微妙な変化が、相手の目に錯覚を引き起こし、そのタイミングをわずかに狂わせる。 だが、復帰したばかりの僕には、明らかにデータが不足していた。はじめて対戦する相手もいて、ボールの質そのものというより、投球術という意味で、本来の実力が発揮できなかった。3年間のブランクは、やはり大きかった。