<開花の時・’24センバツ>チームの軌跡 北海/下 高校で投手転向、急成長 台頭の1年生右腕 球速141キロに /北海道
札幌ドームのマウンドを照らす白い照明が、1年生右腕のこわ張った表情を浮かび上がらせた。昨秋の道大会決勝、東海大札幌戦で先発を託されたが、力みで球が浮き、序盤に計4失点。「立て直さなくては」。焦りが募り、重圧に押しつぶされそうになった北海の背番号11、松田収司を救ったのは、憧れの先輩の言葉だった。 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 「楽しんで投げろ」。昨夏の甲子園で16強入りした旧チームで主力投手を務めた熊谷陽輝(3年)の言葉を胸に、笑顔を作る。気持ちが落ち着き、リズムを取り戻した。 四回を3者凡退に抑えると、五回は3者三振。中盤以降は無失点に抑えて延長十回まで155球を投げきり、逆転勝ちを呼び込んだ。「あの試合が一番きつかったし、一番楽しかった」。そう振り返る松田の好投を上級生もたたえた。「すごく助けられた。1年生とは思えない」と金沢光流(2年)。殻を破った右腕がエースへの階段を一段上がり、チームを明るく照らし始めた。 昨年9月、新チームとなった北海の「背番号1」は、主将で一塁手の金沢の背にあった。旧チームは岡田彗斗や熊谷ら力のある3年生投手が多く、成長途上の1、2年生の経験は不足していた。平川敦監督(52)は「まだ1番を担える投手がいない」とエースの座を空席にする異例の決断を下す。 そんな中、台頭したのが松田だ。伸びのある直球の回転数はプロ野球選手並みの2400。高い潜在能力で期待を受けてきた松田だが、実は中学までの本職は捕手で、「高校で投手になるなんて思ってもみなかった」という。 オホーツク管内の訓子府中出身。わずか14人というチーム事情で3年時から投手の練習もしていたが、「9割が捕手で、1割が投手」だった。そんな右腕の素質を見いだしたのは立島達直部長(33)だ。松田が中学3年の夏、視察した道選抜の紅白戦で捕手として見せた肩の強さに引かれ、最終回に登板してことごとくストライクゾーンに集める姿に心を奪われた。「原石だ。良い投手になる」。北見市内の高校に進学予定だった松田を口説き落とした。 だが、高校で本格的に投手転向した松田にとって、道内屈指の強豪での練習は苦労の連続だった。中学ではジョギング程度の走り込みしか経験がなく、グラウンドを2周するウオーミングアップで1人だけ周回遅れに。持久力を鍛えるシャトルランも苦手で、周囲から遅れた。それでも必死に食らいついた。 上級生の姿も成長の糧にした。昨夏の甲子園では「光るものがある」(平川監督)と見込まれて背番号20でベンチ入り。登板機会はなかったが、劣勢でも生き生きとプレーする熊谷らの姿を目に焼き付け、「いつか自分も」と誓った。 迎えた秋の道大会。準々決勝では同年夏の甲子園に出場したクラーク記念国際を相手に7回1安打完封するなど一戦ごとに成長した。平川監督も「投手陣で頭一つ抜けた」と目を細める。 投手歴が浅い分、伸びしろも大きい。下半身と肩周りを強化するスクワットでは入学時よりも40キロ重い170キロを上げるようになり、体重も約5キロ増の72キロに。入学時130キロ台前半だった球速はこの冬、141キロに到達した。急成長を続ける新星は、甲子園のマウンドに思いをはせる。「目立つのは苦手だが、好きな野球だけは別。先輩が活躍したあの場所に立つのが楽しみ」。真っすぐな思いは、春の大舞台で花開く。【後藤佳怜】