日常ばかり取り上げたのに、全国に読者が1万人もいた「特異な町」の情報紙/イノシシとのにらめっこや居酒屋の開店情報、新しいバス路線の開通
ごみの出し方や新しいバス路線の開通、事故後初の居酒屋開店、放射線量はどれぐらいか、インフラ設備は整っているのか、買い物はどこでするのかなど、なんでもネタになった。「出没!イノシシ」は2019年10月の創刊号を飾った記事で、野生動物が人の生活圏に出てくる原発事故の負の側面も隠さず書くよう心がけた。 「意外と普通の生活ですよ、ということが伝わればいいなと思った」。創刊から編集に携わる佐藤さんは振り返る。 同じく当初から関わる職員の喜浦遊(きうら・ゆう)さん(43)は少しだけ心配していた。「『うちの町はイノシシが道路に寝てるようなところだ』と町が発信するわけだから、お叱りを受けるかもと覚悟していた」。だが、全国の町民からの反応は「毎月楽しみにしている」などと上々だった。 ただ、年月がたつにつれて町は変わっていった。 ▽「普通」になった 避難指示の解除から5年がたった2024。解除エリアは広がり、人口も688人(4月1日時点)と増えた。中心部にあるJR大野駅には東京駅から来る特急ひたちも停車し、かつてのようにアクセスも良くなった。商店や学校も再開。いまでは子どもたちの声が響き、町でイノシシを見かけることもない。
佐藤さんの心境にも変化が生まれていた。「いつからか紹介したいと思うものが少なくなってきた。ここでの生活が日常になり、意外性がなくなってきたからだと思う」 喜浦さんも同じことを考えていた。「創刊当初は本当に町民が戻るかどうかも分からない『特異な町』で、少しずつ日常を探っていくような町だった。それが今では他の田舎町の生活とさほど変わらないようになった。ネタがなくなってきたことはその裏返し」 2人で話し合った結果、「役割は全うできた」として、今年3月に廃刊し、区切りを付けることにした。公表すると役場に「おつかれさま」と全国の町民からねぎらいの連絡が寄せられた。「なんでやめさせちまうんだ」という「うれしい抗議」もあったという。 最終号となった3月の第54号には、こう記した。 「4年半がたち、大川原での生活は、『意外と普通』から本当の『普通』になっています」 × × ×