三冠から30年 史上最強の競走馬「ナリタブライアン」の伝説 武豊、南井克巳…名騎手が証言!
陣営が雪辱戦に選んだのは、この年に2000㍍から1200㍍の短距離戦に生まれ変った高松宮杯だった。前走で3200㍍を戦った三冠馬のスプリント戦への出走に賛否両論が巻き起こった。鞍上は南井ではなく武豊。「降ろされたと思うよ、完璧に。こんなレースを使うんだもの」。昨秋、南井は言い切った。高松宮杯を使った理由のひとつは自分を降板させるためだった、と言うように。 レースは後方4番手から馬群を割って伸びてきたが4着まで。昨秋、南井は悔しそうに本音を吐露した。 「僕が天皇賞で負けたのが原因でそうなったから、馬のために申し訳ない。だけど、やっぱり可哀そうだよね。こんな強い馬を高松宮杯に使ったらね。それで終わったでしょ」 結果的にこの一戦が現役最後のレースとなった。高松宮杯から1カ月後の6月19日、屈腱炎の発症が明かされた。大久保正陽は現役に固執。これも今なら種牡馬(しゅぼば)として大きな期待が寄せられている馬に対する態度でないと非難されても不思議はない。大久保が観念した格好で、ようやく引退が正式に発表されたのは10月10日のことだった。 それから2年後の98年9月27日、「シャドーロールの怪物」は急逝した。胃の破裂。腸が長いゆえに人間よりは多く見られる腸閉塞が悪化して胃に影響を及ぼした、稀(まれ)な例だった。91年5月3日に生を授かり、わずか7年と4カ月24日の生涯だった。南井は言う。 「ああいう馬はなかなか出るものではない。やっぱり、もう少し長く生きてほしかった」 2年間の種付けで151頭の子どもを残したが、父に並ぶような戦績を残す子どもに恵まれなかった。 名高かった生産牧場も負債総額約58億円を抱え破産宣告を受けて消えてしまい、その後、場主は横領容疑で逮捕された。不運に見舞われ、人間の欲望にも翻弄されたが、それでもナリタブライアンが20世紀を代表する名馬だったことは揺るがない。 (敬称略)
(「サンケイスポーツ」編集局専門委員 鈴木学) すずき・まなぶ 1964年生まれ。サンケイスポーツ編集局専門委員。93年から競馬担当。『週刊Gallop』編集長、サンケイスポーツレース部長、競馬エイト担当部長などを歴任。現在、サイト『サンスポZBAT!競馬』、『週刊新潮』などで競馬コラムを連載中 6月18日発売の「サンデー毎日 6月30日号」には、ほかにも「田原総一朗が直撃! 蓮舫『都知事選、私はこう戦う』「バレーボール男子日本代表 グラビア&ルポ9P大特集」「『親の介護のリアル』50代記者×コラムニストが本音対談」」などの記事も掲載しています。