三冠から30年 史上最強の競走馬「ナリタブライアン」の伝説 武豊、南井克巳…名騎手が証言!
三冠&有馬記念制覇によって94年の年度代表馬に選ばれて現役最強の地位を確固たるものにしたら、次に目指すのは史上最強馬の称号しかない。95年3月12日、阪神・淡路大震災で著しい被害を受けた阪神競馬場に替わって京都競馬場で行われた阪神大賞典を単勝オッズ1・0倍で圧勝したとき、その桁違いの強さに誰もがその称号を手にするだろうと思ったはずだ。 だが、1月の大震災に次いで3月20日に発生したオウム真理教による地下鉄サリン事件で世の中が騒然とするなか、ナリタブライアンに暗雲が垂れ込める。天皇賞(春)を目前にして股関節炎を発症。秋まで休養を余儀なくされてしまった。 それからの「シャドーロールの怪物」は、真の怪物ではなくなっていた。不運は重なる。同年秋、復帰を目指している最中に南井克巳がゲート内で騎乗馬が暴れて右足首の複雑骨折を負い、長期離脱することになったのだ。 的場均に乗り替わった天皇賞(秋)は12着。武豊が手綱を取ったジャパンカップと有馬記念は6着と4着に終わった。今年1月に取材した際、武豊は、彼が騎乗したときのナリタブライアンは「一回も本調子じゃなかったと思います」と振り返った。しかし、たとえピーク時の能力を発揮できなくなっていても、ナリタブライアンは伝説を作った。 ◇南井「もう少し長く生きてほしかった」 96年の阪神大賞典。同じ父を持つ前年の年度代表馬マヤノトップガンと4コーナー手前から熾烈(しれつ)な一騎打ちを演じた。残り100㍍で一旦トップガンに差し返されたが、また差し返す。馬体を併せたままゴールを迎え、アタマ差で制した。「馬が本当にゴールを知っているような感じで踏ん張ってくれた感じでしたね。凄(すご)い馬だなと思いました」と武豊は28年後に述懐した。 復帰した南井克巳に手綱が戻って1番人気で臨んだ天皇賞(春)は、同い年のサクラローレルに差し切られて2着。「馬は最高に仕上がっていたと思うけど、僕がちょっと早めに仕掛けて行きすぎたかな。それに骨折した足首が歩いていても躓(つまず)くぐらいまだ固かったから。あれは勝たなきゃいけないレースだった」。南井にとって最も悔いが残る一戦となった。その結果、南井に手綱が戻ることはなかった。