三冠から30年 史上最強の競走馬「ナリタブライアン」の伝説 武豊、南井克巳…名騎手が証言!
クラシック初戦の皐月賞を、ナリタブライアンはレースレコードを一気に1秒2も縮めたばかりか、コースレコードさえ0秒5も塗り替える驚異的な走破タイムをマークして戴冠。その暴力的なまでの強さは3歳最高峰の一戦、日本ダービーでさらに際立った。 3コーナー手前から徐々に進出し、4コーナーを大外から騎手が促すことなく2番手まで上がる。直線に入ると、南井はさらに馬場のいい外へと進路を取って先頭に躍り出る。無人の野を突き進むが如く馬場のほぼ真ん中を真一文字に疾駆した。2着との差は5馬身。単勝の配当120円は、84年の三冠馬シンボリルドルフの130円を抜く、当時のダービー史上最低配当。シャドーロールの怪物は、ファンからの圧倒的支持に圧勝という形で応えた。 ◇武豊「一回も本調子じゃなかった」 その頃から日本中の競馬ファンは、ビワハヤヒデとの現役最強を決める兄弟対決を夢見ていた。ナリタブライアンが皐月賞を制した翌週、ビワハヤヒデは天皇賞(春)を制覇。ナリタブライアンが日本ダービーを快勝すれば、兄も宝塚記念を5馬身差で圧勝したからだ。過去にも賢兄賢弟はいたが、兄弟が同時期にターフを沸かすことは一度もなかった。それだけに兄弟が同じ年に大レースを勝つ姿は、ファンにとって血が騒ぐほどの興奮を覚えるものだった。2頭の兄弟対決は、大相撲で絶大な人気を博していた若貴兄弟の優勝決定戦よりも早く実現するかもしれないという高揚感が競馬ファンにあった。ちなみに、若乃花、貴乃花兄弟による史上初の優勝決定戦が実現したのは95年の九州場所だった。 ところが、夢は夢のままで終わった。ナリタブライアンの三冠が懸かる菊花賞の前週に行われた天皇賞(秋)のレース中、ビワハヤヒデは競走馬にとって不治の病といわれる屈腱(くっけん)炎を患って引退することになったのだ。 兄弟対決は幻に終わったが、ナリタブライアンは菊花賞で圧勝劇を演じて三冠馬に輝いた。テレビでは、関西テレビアナウンサーの杉本清が「弟は大丈夫だ」という名実況で10年ぶりの三冠馬誕生を伝えた。戴冠を重ねるたびに着差を広げていった「シャドーロールの怪物」に、ファンは現役最強を夢見ることになった。それに応え、初の年長馬との対戦だった続く有馬記念で、平成初の三冠馬は横綱相撲で並み居る強豪たちを一蹴した。