三冠から30年 史上最強の競走馬「ナリタブライアン」の伝説 武豊、南井克巳…名騎手が証言!
ところが、それだけの名馬にもかかわらず毀誉褒貶(きよほうへん)がある。ただし、自分の意思でレースを走っていない馬に責任はない。人間のエゴに翻弄(ほんろう)された不運な馬でもあったのだ。中でも96年の天皇賞(春)で2着に敗れた後、短距離の高松宮杯に出走したことは世間の非難を浴びた。3200㍍の大レースを走った馬が一気に2000㍍も距離を縮めて1200㍍のスプリント戦に出走することなど前代未聞だったからだ。 それを述べる前に栄光の足跡をたどりたい。 ◇名馬に跨った者にしか分からない感触 名馬にはエピソードがつきものだ。ナリタブライアンにも大小さまざまな逸話が語り継がれている。この馬を語る上で欠かせないデビュー前の出来事がある。93年8月の朝、函館競馬場で調教師の大久保正陽(まさあき)が騎手・南井克巳(みないかつみ)に声をかけた。 「君はダービーを取ったことはあるか」「いえ、ありません」「じゃあ、本当に勝てるかわからんが、乗ってみるか」 デビュー前にナリタブライアンに跨(またが)った南井は、馬体の重心がグンと下がって加速していく感触に、かつて主戦を務めた希代のアイドルホース・オグリキャップの乗り味を重ね合わせた。高級車が加速するにつれて車体が沈み込むようなもの。名馬に跨った者にしか分からない感触。それを再び味わえたことに酔いしれ、嬉(うれ)しくなった。 ナリタブライアンは同年8月15日の初陣こそ2着に終わったが、2週間後の2戦目で2着に9馬身差をつけて圧勝した。その際、大久保正陽は生産した早田牧場新冠(にいかっぷ)支場の場主、早田光一郎に「この馬は兄を超えますよ」とささやいたという。 兄とはビワハヤヒデ。クラシック制覇はその秋の菊花賞まで待たねばならないが、皐月賞、ダービーで2着だった。既にスターホースの兄以上の活躍ができると確信していたわけだ。 馬の鼻の上部にぐるりと巻くように着ける白いモール状の「シャドーロール」。その馬具を競馬ファンに知らしめたのもナリタブライアンだった。シャドーロールを装着するまでの彼は、芝の切れ目や物の影などに驚くことがあり、勝つときは強いのに負けるときはあっさり。どっちが本当の姿なのか判然としないでいた。ところが、京都3歳(現2歳)ステークスで、下方を見えにくくして前方に意識を集中させる効果のあるこの馬具を着けてからレースぶりは一変し、圧勝劇を披露し続けることになる。純白のシャドーロールはナリタブライアンの代名詞となり、いつしか「シャドーロールの怪物」と呼ばれるようになった。その戦績を2期に分けるとしたら「シャドーロール前」と「シャドーロール後」とするのが正しいだろう。