オアシス15年ぶり再結成。だがツアー開始しても油断禁物? 兄弟の喧嘩遍歴を振り返る
お互いのパートナーのことでも揉める
リアムとノエルは互いの恋人や妻のことでも揉めることも多かった。ドラマー、アラン・ホワイトの怪我でライブがキャンセルとなった2000年5月、バルセロナでメンバー全員が酔っ払っており、リアムは生後5ヶ月だった姪アラニスの出自に疑問を呈してしまった。愛妻メグ・マシューズが不貞を働いたと言わんばかりのリアムの発言にブチ切れたノエルは、イギリス以外のツアーはもうやめると宣言。バンドは彼抜きで残りのヨーロッパ・ツアーを続けることを余儀なくされてしまった。
ついに解散...
オアシスは2008年までに5枚のアルバムを発売している。しかし、ギャラガー兄弟の確執は続いていて、2009年にはついにバンド解散となる事件が起こる。それは2009年8月28日にパリで開催されたロック・アン・セーヌ・フェスティバルでの兄弟喧嘩だ。出演5分前、リアムは壁に向かって果物を投げつけ、楽屋からノエルのギターを持って戻ってくると、「斧のように」振り回して楽屋を破壊したと言われている。この暴力行為に驚いた主催者側は当然ながらバンドの出演自体を中止と決定。ノエルは騒動後、車にこもって「リアムとはもう1日も一緒に活動できない 」とバンド脱退を決意。そしてオアシス公式ウェブサイトで、バンドがついに解散したことを明らかにした。 「今夜オアシスを辞めたことを伝えるのは、悲しみと大きな安堵とともにある。リアムとこれ以上一緒にやっていくことができなかったんだ。緊張には、物事を曲げるのではなく、曲げさせる対立する力が必要だが、リアムはついに弟を追い詰めすぎてしまい、その過程で15年間ミスを犯してしまったのだ 」と書き込んだのだ。
解散後も争いが絶えない
解散の翌年、ノエルはノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズを結成。一方のリアムは、他の元オアシスのメンバーとビーディ・アイを結成。兄弟喧嘩はもう終わりと思われたが、根は深かった。2010年のBRITアワードにおける『モーニング・グローリー』で過去30年間の最優秀ブリティッシュ・アルバムを受賞したオアシスを代表して賞を受け取ったリアムは「ボーンヘッド、ギグス、アラン・ホワイト、世界最高のファンに感謝したい。リヴ・フォーエヴァー!」とスピーチを締めくくり、マイクと賞を観客に投げつけた。スピーチからノエルの名前が省かれたのが意図的なのに気が付かないファンはいなかっただろう。2011年、オアシス時代とは異なる音楽性で再び注目を浴びたノエルは、自身のバンドのプレス活動中に、バンドを脱退した理由のひとつに2009年のVフェスティバルでのギグ中止があったと激白。さらにこの騒動の原因は、リアムが二日酔いだったこととインタビューで主張した。この記事に憤慨したリアムは、ノエルを名誉毀損で告訴している(後に取り下げた)。