「平成の音楽」を彩ったアクターズスクールも2000年代に低迷… 再始動を決意した創設者の娘の背中を押したのは三浦大知とISSA 新しい才能を沖縄から再び世界へ
▽三浦大知さん 「終わってみんなで挨拶している時に、 “やっぱりアクターズ良くないですか? ” と。ISSA兄ちゃんとかも、 “アンナさんメソッド、残さないと” みたいな」 「それはめっちゃ大切なことですよ、みたいなことを言ってた。それをとても、きっかけに思ってくれているのかな」 ▽ISSAさん 「今の小さい子たちの才能も見てみたい、っていうのもありましたし、それをいろいろ考えると、(アクターズを)やらない手はないんじゃないのかな、とお話しさせてもらった」 ▽牧野アンナさん 「こんなふうに卒業生たちが、しかも第一線で活躍してきた卒業生たちが言ってくれるというのは、なんて幸せなことなんだろう、と思ったら、 “やらない” 選択肢はないなと思って。もうやるしかないんだ」 アクターズ再始動へ舵を切ったアンナさん。イベントの翌日から、新しいメンバーを集める準備を始めました。 新生アクターズの誕生とともに、アンナさんと父の関係にも変化が起こりました。 「その時に父から初めて、褒められたんですね。結局、アクターズはお前だったんだよ、って」 「そんなことを言う人じゃなかったので、もう死ぬのかなって、そのとき思って。結局その3か月後にやっぱり亡くなるんですけど、でも父と、ちゃんと言葉を交わした」 アクターズの活動が軌道に乗り始めた矢先に訪れた、父・正幸さんの死。失意のアンナさんを奮い立たせたものは、沖縄への感謝の思いでした。 「街を歩いてて、声をかけられるんですよ。おじいちゃんおばあちゃんからも、 “見たよテレビで、アクターズまたやるって?” と」 「アクターズスクールを沖縄のものとして言ってもらえるのがすごく嬉しくて。だからこそもう1回、アクターズスクールを再始動させようって思ったときに、やっぱりちゃんと沖縄に還元したい」 沖縄の新しい才能たちと再出発した、沖縄アクターズスクール。20年の時を経て再び、沖縄から全国、そして世界を目指します。
<MEMO> RBCでは11月20日(水)のよる6時15分から、特別番組「映像が語る沖縄70年 RBCキャスターが見たニュースの舞台裏」を放送します。 この記事で短くご紹介したアクターズスクールの歴史について、懐かしい映像とともに振り返ります。
琉球放送