「平成の音楽」を彩ったアクターズスクールも2000年代に低迷… 再始動を決意した創設者の娘の背中を押したのは三浦大知とISSA 新しい才能を沖縄から再び世界へ
安室奈美恵、SPEED、DA PUMP… 沖縄から全国区のスターなった彼らに共通するバックボーン、「アクターズスクール」。平成の音楽シーンを華やかに彩りました。 【写真を見る】沖縄サミット(2000年)で歌う安室奈美恵さん、90年代のアクターズスクール 1990年代、その人気は、ここからスターを目指していたアーティストの卵たち「B.B.WAVES」のコンサートにも全国からファンが集まったほど。 アクターズスクールを巣立ったグループは次々とヒットを生み出し、日本の音楽シーンを席巻しました。 ▽アクターズスクール創設者 マキノ正幸さんの娘・牧野アンナさん 「何となくアクターズスクールから出た子たちの “カラー” みたいなものがあって、それ自体のファンになってくれる人たちが出始めた。アクターズスクール出身というのが、何かひとつのブランドになったような感じがしました」 アクターズスクール創設者のマキノ正幸さんの娘・牧野アンナさんは、正幸さんと二人三脚でアクターズの知名度を全国区へと押し上げた立役者です。 一世を風靡したアクターズスクールでしたが、2000年代に入ると勢いに陰りが見え始めます。多い時で700人を超えていた生徒の数は、2ケタに。 この頃、アクターズの方針をめぐって父と仲違いしたアンナさんは、アクターズを離れ、拠点を東京に移します。父の正幸さんとは連絡を取らなくなり、長い月日が流れました。 転機が訪れたのは、コロナ禍の2021年。 父の容態が思わしくないことを知ったアンナさんは、20年ぶりに父の元を訪ねました。 ▽牧野アンナさん 「父が “俺は沖縄では終わってる人間だから” と。アクターズスクールも、もうなくなってると思われてるし。それだったら、卒業生たちもみんなに協力してもらって沖縄の人たちにアクターズスクールのことを思い出してもらえるような、大きいイベントをやろうよ、と言って」 アクターズの歴史に区切りをつけるため、そして、父を励ますため。 2022年10月、アンナさんは「アクターズスクール大復活祭」と銘打ったイベントを開きます。 沖縄から巣立ったスターが一同に介した「大復活祭」をもって、アクターズの歴史に幕を降ろすつもりだったアンナさん。 しかし、ある2人の言葉で、考えが変わりました。