母から娘に受け継がれた“走り屋の血” コンマ1秒の世界にドハマり…28歳カー女子の原点
サーキット場まで乗った母のトレノが原体験「このドライブとワクワク感は特別でした」
幼き日に母に連れてこられたサーキット場、豪快なエンジン音と共に育った。28歳の山本真緒さんは、クルマ好きでトヨタ・スプリンタートレノに乗る母の中村美穂さんの影響を受け、今ではサーキット走行にハマり、「若い女の子がスポーツカーに乗る」という夢をかなえてスポーツカーを手に入れるほどの成長を遂げた。そんな“サーキットの娘”のカーライフとは。(取材・文=吉原知也) 【写真】耐久レース用のNBロードスター、超クールなド派手S2000…サーキット場を疾走する実際のシーン 山梨・韮崎にある人気サーキット場・スポーツランドやまなし。1周約1キロの場内を周回するタイム走行を終えた真緒さんが、練習用車であるマツダ・NBロードスターから汗ばみながら降りてきた。慣れた手さばきでごう音を響かせ、堂々としたたたずまいだ。 母の美穂さんは、サーキット走行会を主催する「team六連星」の中心メンバー。元々バイク乗りで25年前に『頭文字D』に夢中になり、サーキットに子連れで通うようになった“つわもの”だ。 家族で関東各地のサーキット場を巡った。長女の真緒さんにとって、一番の思い出の地が、この山梨のサーキット場だ。今はもうないが、昔は敷地内にちょっとした砂場があり、「私と兄の遊び場になっていました」。母は今も、子どもたちが砂場で遊ぶ昔のメモリアルな写真を大事に保管している。 出発するのは夜中の3時頃。ブランケットを膝に乗せてもらい、真夜中のドライブが始まる。「母のトレノに乗るこのドライブの雰囲気が楽しくて。このワクワク感は特別でした」。 小学生まで通っていたが、中学になると、ソフトテニスの部活に没頭。大学まで、スポーツに汗を流した。サーキット場からは自然と離れた。 車の免許はマニュアルで取ったが、大学時代は今風のSUVに憧れた。母から譲り受けたオートマのSUBARU インプレッサ。マニュアル運転からも遠のいていた。 運命が動き出したのは、社会人2年目。24歳の時だった。たまたま友人のシビックに乗せてもらった際に、「マニュアルって楽しいな」。どんどん興味が湧き始めた。 「そう言えば、お母さんがクルマにめっちゃ乗ってるなあ」。連絡を入れると、すぐに「練習するのにいいクルマがあるよ」と返信が来た。練習場所は思い出の地・山梨に決まった。 特別にコースの上り坂で坂道発進の練習。そうこうしているうちに、スムーズに走るための「ライン取り」をたたき込まれるように。「最初は『マニュアル車で街乗りができるようになる』が目標だったのですが、サーキットを走ることが目的になって…(笑)。初めて1周のタイムを測った時、1分何十秒もかかりました。1分以上は遅過ぎます。スピードが出せてタイムが縮まって、その成長に面白味を感じるようなりました。そんなつもりはなかったのですが、気付いたらこうなってました(笑)」。月1回から数か月に1回は必ずサーキット場に通い、体を慣らしながら鍛錬に取り組んでいる。