可愛いから…だけじゃない?『溶鉄のマルフーシャ』『救国のスネジンカ』で過酷な運命と戦う少女たちになぜ心惹かれるのか。□バッドエンドが「良い悲劇」になる条件□とは?
「一谷嫩軍記~熊谷陣屋」では□忠義□という要素が含まれていますが、どちらにしても悲しみが残る終幕と言えるでしょう。しかしこれが「金返せ!」と言われずに悲劇の名作として受け入れられるのはひとえに「リアリティがあるため」です。
この場合の□リアリティ□とは、実は「現実にあった事象」「実際にある世界」を思わせることに関わりません。要は「共感」であって、登場人物の行動に納得できる「リアリティ」を感じられるかどうか、ということです。熊谷直実は「武士としてのリアリティ」、マルフーシャやスネジンカは「徴兵された少女たちがとる行動」の説得力を持っていて、そこがブレていないのです。
話をゲームに戻すと『溶鉄のマルフーシャ』『救国のスネジンカ』は「次々に増えていく税金」「上司に逆らえない無常」などから、我々が生きる現実の社会と繋がる表現が多々見られます。圧政の描き方もひとつひとつ分割してみてみたら、「こっちが頑張ったのに上のほうの決断で全部オシャカだよ……」など受け取れたりと、なかなか共感できてしまうのです。
『サイバーパンク2077』など、いくつかのサイバーパンク系ディストピア作品でもこういった表現を見られますし、プレイヤーは「フィクションとしてのバッドエンド」ではなく「フィクションだけど□現実にも通じるところがある□バッドエンド」として体験することになるのです。極論で言えば「敦盛最期」も「熊谷陣屋」も遠い過去の話で、「首取った」だの「忠義のために息子を切る」だの、□現在においてはリアルな話□じゃないのですから。
この「共感の要素」というものは、ゲームにおいてことさら増すものだと思います。なぜなら今までの書籍・演劇・映画などのエンターテインメントが「受動的」なものだとしたら、ゲームは没入感に特化した「能動的」な媒体だからです。マルフーシャやスネジンカが生き残っていくというのは「プレイヤーのゲームプレイ」の結果。つまり、インタラクティブ的な体験としてゲームプレイがあるわけで、必然的に□共感□が深くなる媒体なのです。
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