「神の御手に導かれた」…あるベトナム人難民がなんの所縁もないイスラエルに定住申請をした驚きのワケ
北米中華、キューバ中華、アルゼンチン中華、そして日本の町中華の味は? 北極圏にある人口8万人にも満たないノルウェーの小さな町、アフリカ大陸の東に浮かぶ島国・マダガスカル、インド洋の小国・モーリシャス……。 世界の果てまで行っても、中国人経営の中華料理店はある。彼らはいつ、どのようにして、その地にたどりつき、なぜ、どのような思いで中華料理店を開いたのか? 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 一国一城の主や料理人、家族、地元の華人コミュニティの姿を丹念にあぶり出した関卓中(著)・斎藤栄一郎(訳)の 『地球上の中華料理店をめぐる冒険』。食を足がかりに、離散中国人の歴史的背景や状況、アイデンティティへの意識を浮き彫りにする話題作から、内容を抜粋して紹介する。 『地球上の中華料理店をめぐる冒険』連載第18回 『「いつもこれを注文していたよ」25年ぶりの客を忘れることなく歓迎した店主を送る最期の宴会』より続く
難民の漁船
1978年12月の月のない夜。ベトナムのホーチミン(旧サイゴン)にあるチャイナタウン、チョロンに、ある男が現れ、ここに暮らす友人一家を車に乗せる。 キエン・ウォン(王章建)、妻のメイ、2歳から15歳までの4人の娘の6人家族だ。車は一家をメコン川の河岸に送り届けた。 一家は付近の養鶏場に身を隠して真夜中を待ち、約束の時間になると、難民でぎゅうぎゅう詰めの漁船に乗り、公海をめざした。 公海上で香港船籍の貨物船「東安(トンアン)号」に乗り移る手筈だった。ウォン一家は、ベトナムを出るために4000米ドル相当を金貨で支払っていた。
20人もの子供が…
合わせて2700人の難民を乗せた東安号は、16日間、南シナ海をさまよった。タイからもマレーシアからもブルネイからも難民受け入れを拒まれた。 そしてマニラ湾でようやく接岸できたものの、フィリピンは乗船者の上陸を許可しなかった。 その時点で、命を落とした子供の数は20人にのぼる。 マニラ湾で2週間の係船中、乗船者は、国際人道支援組織が送り届けた食料や水、医薬品のおかげでどうにか生き延びることができた。 フィリピン政府が公海への曳航を準備していた段階で、13ヵ国が難民定住受け入れを表明した。 多くのベトナム難民と同様に、ウォンもオーストラリアか米国かカナダを希望するつもりだった。フランスでもよかった。 多少フランス語が話せたからだ。だが、イスラエル政府職員との面接希望者が募られると、最初に手を挙げたのは、ウォンだった。 「神の御手に導かれたのです」 初めて会ったウォンは、こう切り出した。ベトナムの福音教会で非常勤の牧師を務めていたウォンは、聖地で福音を広める機会になると前向きに受け止めたのだった。 『中国人なのにイスラエルのパスポート…イスラエル内の移民の拠点「ハイファ」のアラブ人街で中華料理店を営む男性との出会い』へ続く
関 卓中(映像作家)/斎藤 栄一郎(翻訳家・ジャーナリスト)