「AKBに戻りたい」卒業後に思いつめた宮澤佐江──手放した「キラキラの芸能界」に対する執着
ボーイッシュな元気キャラで、AKB48時代には安定的な人気を誇った宮澤佐江(31)は現在、ミュージカルを中心に俳優として活躍の場を広げている。かつて上海のSNH48、さらに名古屋のSKE48へ「異動」した際には、人知れず悩み、葛藤を抱えた。卒業後も、自身が思い描いた芸能人像と現実とのギャップに苦しみ、1年間の休業を選択している。「心が折れた。何もかもから逃げ出したかった」。AKBに戻りたいと思い悩んだ日々。執着を手放した先に見つけた光は、何を照らし出したのか。(取材・文:山野井春絵/撮影:木村哲夫/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「逃げ」と「ワクワク」で決めた上海行き
近年、舞台、ミュージカルで高い評価を得ている俳優の宮澤佐江は、AKB48二期生。AKB48時代に中心的メンバーとして活躍した一人だ。歌って踊ることが大好きだった体育会系少女も、今や30代。最近美容室で、若いアシスタントの女性が自分のことを知らなかった、と笑う。 「AKBで一番忙しい頃は大変なこともあったんですけど、それを上回るほど楽しかったんですよ。早くから没頭できるものに出合えてラッキーだなって思ってました」 息苦しさを感じるようになったのは、デビューから4年経った2010年頃のこと。 それまで選抜メンバーの常連だったが、その人気に陰りが見えてきた。歌もダンスも、仕事場での振る舞いも、何も手を抜いていない自負があり、だからこそ、つらかった。 「こんなに頑張っているのに、自分には何が足りないんだろうって……2010年から3年間くらい迷走期が続きました。その頃AKBは海外進出を始めていて、私たちも仕事でジャカルタのグループとの交流があったんです。そのとき、人見知りなく、国境の壁を越えて仲良くする様子を見ていた秋元康先生から、『新しく中国にできる姉妹グループは佐江を筆頭にしたい』とお話がありました」 当時22歳。「海外赴任」はもちろん想定外。だから二つ返事はできなかった。それでも「これはチャンスだ」と思ったという。 「日本で自分の露出が減ることに不安もありました。でも当時、『どう頑張っても、もうポジションがない』と思い込んでいて。正直、このまま落ちぶれていく姿を、ファンの方々に見せたくなかった。これが上海行きの一番の決め手です。そんな逃げの気持ちと、新しいことが待っているワクワク感がないまぜになっていました」