「AKBに戻りたい」卒業後に思いつめた宮澤佐江──手放した「キラキラの芸能界」に対する執着
心機一転、すぐに上海に赴いて、初めての海外生活を始める……はずだった。 日本と中国の情勢から、長期滞在の許可が下りず、数カ月の間、中ぶらりんの状態に陥る。その間、日本での仕事もほとんどなかった。 「何かちょっと病んでました、あのときは。毎日、マネージャーさんから『明日は休みです』って連絡が来るんです。大好きな握手会にも参加できなくて、フラストレーションがたまる一方。魔の数カ月という感じで、上海に行けなかった期間の記憶はほとんどないです」
「メイクが濃すぎる」「おばさん」とかいろいろたたかれたことも。SKEとの兼任時代
「魔の数カ月」を乗り越え、覚悟して赴いた上海。もうAKB48に戻る場所はない。 そう思っていた矢先、日本で用意されたポストは、兼任となるSKE48、チームSのリーダーだった。 すでにSKEは名古屋のアイドルグループとしてしっかりと形作られていた。ファンの思いも熱く、「外様」である宮澤は厳しさを感じることもあったという。 「ステージに上がって、ファンの方々の目線を受けると、わかるんですよ。本当にSKEの一員として、やっていけるのか? という気持ちが伝わってくる。緊張しましたね。SNSでも『メイクが濃すぎる』『おばさん』とかいろいろたたかれて、怒ってすっぴんで出たこともあります(笑)。どんなに私がAKBグループとして先輩だったとしても、ああ、これはもう、新たに自分色に染めるなんてとても無理だ、と思いました。だから、まずはSKEというグループをリスペクトした上で、『お邪魔している』という気持ちで取り組もうと考えました。その上で、自分の役割をきっちりと果たそう、と」 そして2016年、AKB48グループを卒業した。 もう、AKBで学べるものはすべて学んだ、やり切った。そんな充実感があった。これからは俳優として新しい道を踏み出す。そう決意し、何の迷いもなかったという。 「でも一人で歩きはじめて、しばらくしたら……現実を目の当たりにしたというか、不安が募っていきました」