浜田剛史氏「起きている時間はすべてボクシングだけを考えていた」亡くなった長野ハルさん悼む
ボクシング界の名門帝拳ジムの長野ハル・マネジャーが1日午後8時40分、老衰のため死去した。5日、本田明彦会長がホームページで発表した。99歳だった。1948年(昭23)に帝拳株式会社に入社し、日本ボクシングコミッション(JBC)が創設された52年にマネジャーライセンスを取得。75年以上にわたりジムの屋台骨を支え、大場政夫、浜田剛史、村田諒太らの世界王者をはじめ、ボクサーから母親のように慕われた。帝拳ジム2人目の世界王者で元WBC世界スーパーライト級王者の浜田剛史氏が故人をしのんだ。 ◇ ◇ ◇ 今日(5日)マネジャーのところにお別れに行ってきました。枕元には大場政夫さんがサンドバッグの横でニコニコしている写真が置かれていました。ご本人の希望だったそうです。まだまだやる気満々でジムにも顔を出すつもりのようでしたが、足の骨折が影響したのか、顔を見たら随分と痩せられていました。 初めて会ったのは私が17歳でマネジャーが53歳の時です。以来、ずっと母親のような存在です。18歳でジムの合宿所に入ったのですが、隣に住んでいて食事も管理してくれました。礼儀から全て教えていただきました。その関係は64歳になった今に至るまで変わっていません。 現役時代で思い出すのは「プロボクサーは人気商売でもあるので、あなたは嫌われてはいけない。嫌われるのは私」と言われていたことです。取材では必ずマネジャーがそばにいて、勉強不足の記者には「よく調べてきなさい」と厳しかったですね。 強気で、元気がないところは誰にも見せなかった。起きている時間はすべてボクシングのことだけを考えていました。ようやくゆっくり休めるんじゃないかと思います。