「点を取られない良いピッチャーに」 ソフトバンク育成8位の相原投手 大学でわずか公式戦4登板の未完の大器 2度の手術越えプロ入り
昨年10月のプロ野球ドラフト会議で、ソフトバンクから育成8位指名を受けた仙台大の相原雄太投手(22)=川口市出身、伊奈学園高出=は2度の手術を乗り越え、プロ入りを果たした。「練習量は誰にも負けられない。点を取られない良いピッチャーになりたい」。大学でわずか公式戦4登板にとどまった未完の大器に迫る。 埼玉西武、蛭間1位指名 花咲徳栄・藤田は日ハム1位、8年連続の指名獲得は高校野球史上最長 伊奈学園高時代、本格的に投手を始めた2年の秋に右肘に違和感を覚えた。3年の夏には投げられないほどの痛みを感じ、同11月に損傷した腱(けん)や靱帯(じんたい)を再建するトミー・ジョン手術を受けた。 仙台大入学後もリハビリ生活が続いた。「1年間野球ができない覚悟を持って手術を受けたけれど、自分だけボールを投げられないのが悔しかった」。2年目に照準を当て、やれることにひたむきに向き合った。 一般入学の相原は寮ではなく、1人暮らし。栄養管理も自分で行った。体に必要なものを考えながら自炊を続け、1日6合の米を食べるなどして1年で15キロ体重を増やした。 1年の冬にブルペン復帰を果たすと、初の計測で145キロを記録。直球に自信はあったが、高校時代は最速でも130キロ後半で「自分のボールじゃないみたいだった」。リハビリと並行して取り組んだ下半身中心の筋力トレーニングの効果が球速に表れた。 体をつくり、長身を生かすためリリースポイントを高くするなどフォームを改良して2年秋には152キロを記録。だが、社会人野球を目指していた相原は3年で調子を落とす。「アピールしたくて結果が出ずに焦りがけがにつながった」と再び右肘を故障した。 5月にメスを入れ、4年時のリーグでは1球も投げることができなかった。不安な気持ちで臨んだドラフト当日、相原は約3時間20分もの間、名前が呼ばれる瞬間を待った。実績がなくプロ入りを考えたこともなかった右腕の指名は異例だった。 先月、けがから復調した右腕は母校の伊奈学園高で自主練習に励んでいた。「一番は伸びしろとポテンシャルを見てもらえたんだと思う。1年かけて技術面を磨いて結果を出して、最速160キロを目指したい」。191センチの長身から繰り出す伸びのある直球の可能性は無限大。投げられるようになった今、相原の本当の戦いが始まる。