小説家夫婦の馴れ初めとは?「結婚したら小説が書けなくなる」とプロポーズをいなす津村節子に、何度も口説き続けた吉村昭
『星への旅』で太宰治賞を、『戦艦武蔵』や『関東大震災』で菊池寛賞を受賞した吉村昭と、『玩具』で芥川賞を受賞した津村節子。小説家夫婦である2人は、どのようにして結ばれて人生を共に歩んだのか、そして吉村を見送った後の津村の思いとは。今回は、2人の馴れ初めをご紹介します。 【写真】自宅の前でツーショット。表札は「吉村」と「津村」が並ぶ * * * * * * * ◆吉村昭の人柄 吉村昭といえば、手堅く厳格なイメージがある。 同じ昭和2年生まれで親交のあった城山三郎は、2006年(平成18年)、吉村の訃報を伝える新聞で、 〈欠点がない人でした。まじめで、きちんと約束を守る。(略)人の悪口も言わず、愚痴をこぼさない。〉(朝日新聞 平成18年8月2日朝刊) と追悼した。丹羽文雄(にわふみお)が主宰する同人雑誌「文学者」の仲間だった文芸評論家の大河内昭爾(おおこうちしょうじ)は、 〈吉村さんはストイックな人ですし、照れ性でしたね。〉(「小説新潮」平成19年4月号)と言い、同じく「文学者」出身の評論家・秋山駿も、次のように記す。 〈いつも温和な笑顔で優しく話しかけてくれるこの人は、実は、こわい人ではあるまいか。自分で自分の心に誓ったことだけは必ず断行する。あるいは強行する。そういう勁さを生きる人だ。しかも、その勁さを秘めて、温和な風情を見せている。〉(「群像」平成18年10月号)
◆ベタ惚れした津村と結婚 さらに吉村が世に出る前から編集者としてつき合いのあった文芸評論家の大村彦次郎は、「吉村さんのけじめのつけかたのきびしさに、思わず驚いたほどでした」と弔辞で述べた。 菊池寛賞を受賞した代表作『戦艦武蔵』や『関東大震災』などの一連のドキュメント作品、読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞を受賞した『破獄』といった小説や、記録文学の大家としての業績の印象もあるかもしれない。 もちろんそういう一面は確かにあるだろう。 だが私生活となると、イメージはくつがえされる。 吉村が津村にベタ惚れで結婚したというのは事実のようだ。昭和ひと桁生まれの日本男児にもかかわらず、 〈「アバタもエクボ」式のほとんどベタ惚れの域〉(『蟹の縦ばい』中公文庫)と自身の筆でも書いている。 精神科医の斎藤茂太と評論家の渋沢秀雄との鼎談では、次のように語っている。 〈私の場合はよく冷静だと人にいわれるんですけど、決して冷静じゃなくて、私は女房に惚れ過ぎるぐらい惚れちゃっていっしょになりました。(笑)〉(「素敵な女性」昭和54年12月号) それに対して斎藤に、作品同様、女性の問題でも非常に慎重だとにらんでいますと言われている。