【齊藤工×竹林亮】配信なし、劇場公開のみの映画『大きな家』、YouTubeでもSNSでもテレビでも触れることのできない子どもたちの「本音」に耳を傾けよ
● 背景をあえて描かないのは 子どもたちの今を微細に感じてほしいから 竹林 「子どもたちの過去はこうです」と短い尺で語ってしまうと、彼らへの視点が固定化されてしまう。それは間違っていると思ったんです。 彼らの過去や背景に「何があったのだろう」と探るのではなく、彼らは今「どう考えているのだろう」と、彼らの「今の感情の動き」を繊細に読み取ってもらいたい。 「今というのは今が語る」ということを、観客に体験してほしい。そのことを前提に撮影を進めました。 こうした描き方は果たして見る側にとっていいのかどうか、もちろん不安もあります。子どもたちの過去や背景がまったく語られないことに違和感がある方もいるでしょう。でも本作が、彼らにとって自身をポジティブに捉えられる要素になり得るのであれば、こうした撮影方法は正しかったのだと感じています。 ――私も児童養護施設の取材をおこなってきましたが、子どもたちとどう接するかは、毎回、悩むところです。子どもたちからすればいい迷惑かもしれません。子どもたちにカメラに慣れてもらったり、打ち解けたりするのに、どのくらいの時間がかかったのですか。 竹林 撮影の1年くらい前から、ハロウィンなど施設のイベントに訪れて、顔を覚えてもらったり、職員さんのお話をお聞きしたり、「ここにいる子どもたちみんなが主人公の映画を撮りたいんだよね」というお話をしたりしました。 その間に予算を集め、実際に撮影に入った後は、最初の半年は、月に2~3日、朝から晩まで撮影させていただき、一緒に遊んだり、食事をしたりしました。カメラを持つこともあれば、持たないこともあったりと、できるだけ仲良くしてもらうようにして過ごしました。 その後の半年は、施設だけでなく、施設の周辺でも過ごしました。そこでいったん、映像の編集に入ろうとしたのですが、山登りや海外に行くなどのイベントがあると聞き、そこでも撮影させてもらうことになり撮影期間が半年延び、約1年半かけて、段階的に撮影していきました。 撮影手法という文脈で、「子どもへのアプローチの仕方」を聞かれることがあります。そのときは「普通に仲良くしてもらうだけです」とお答えしています。これは事実、それしかないのです。 どのような情報を発信しても、被写体となる人たちは、どこかでそのことを耳にしたり、記事や映像が目に入ることがある、そうしたプレッシャーは、つくり手側に、つねにあります。 一方で、それは当たり前のこと、きわめて常識的なことではないかとも思うのです。「誰か」に関して何かを発信すると、その「誰か」が実在する以上、必ずその「誰か」はその結果をどこかで受け取ることになる。ですから、名前を伏せたり、顔を隠したからといって、何でも発信していいわけではなく、実在の「誰か」について発信するということは、実名で発信することと同じではないか。そうした当然の事実を噛み締めながら、今回、製作を進めていきました。 ――本映画は齊藤さんが企画し、竹林監督へ話を持ちかけたと聞きました。その経緯を教えていただいてもよろしいでしょうか。 齊藤 数年前、一日限りのイベントで児童養護施設を訪れたことがありました。 そこで仲良くなった男の子が、帰り際に「今度、ピアノを聴かせてあげるよ」と言ってくれたんです。そのとき私は、「今度?」という顔をしてしまったのか、その子はすごく寂しそうな顔をしたのです。その表情が忘れられず、何の目的もなく、行けるときはそこを訪れるようになりました。 ちょうど同じころ、竹林さんの作品『14歳の栞』を劇場で見て、こうした映画の届け方があるのか、出演者の守り方があるのか、と驚いたんですね。 実は竹林さんとの出会いはもっと以前にさかのぼります。私は、映画館で映画を鑑賞する機会が少ない子どもたちのために、2014年から「cinéma bird」という「移動映画館」のプロジェクトを主催しています。これは私にとってライフワークともいえる活動ですが、その一環として、2017年にJICA(国際協力機構)とテレビ局の協力で、マダガスカル、カンボジア、パラグアイで、移動映画館を開催し、その様子がドキュメンタリー番組として放映されました(※)。 ※『いつか世界を変える力になる』1部~3部 https://youtu.be/x0wHFV7yudg https://youtu.be/915hO8ZQpas https://youtu.be/b1oTOf7fIIw マダガスカルには映画館がないため、人々は映画になじみがありません。それで、現地の子どもたちに映画体験をしてもらおうと、現地の小学校を訪問し、生徒たちと一緒に映画をつくり、それを見てもらうということを行いました。生徒たちに、監督、録音、出演者、ヘアメイクなどの役割を担ってもらい、そこに監督として竹林さんが参加されていた。そのドキュメンタリー番組の中で、私は被写体として参加していて、それが竹林さんとの最初の出会いです。 そのとき、竹林さんは、被写体にとってとても安心感のあるアプローチで撮影をされる方だと感じました。児童養護施設へ訪問したことと、そのときの記憶が重なり、さらに『14歳の栞』を見たことで、点と点がつながり、竹林さんに監督をお願いして児童養護施設のドキュメンタリー映画をつくれないかと考えるようになったのが経緯です。