「心筋梗塞で生死さまよった」グレート義太夫が語る、“激やせ”した壮絶な闘病と師匠たけしの言葉
スパルタなリハビリを開始
病状が安定すると、一般病棟に移り、リハビリを開始。 大手術だけに痛みもあった。寝返りはうてず、咳もできず、くしゃみをすれば激痛が走る。 「でもリハビリが結構スパルタで、エアロバイクをこぐんですけど、メトロノームをつけて1分間に50回こがないとダメなんです。それを計30分間。1週間以上ずっと寝ていたから、脚の筋肉がすっかり落ちていて、これがキツかった」 入院生活は約1か月間。退院時に除細動器を装着された。不整脈が出るとアラームが鳴るベスト型の装置で、今も常時着用しているという。 「倒れると“119番に電話してください、こういう処置をしてください”って液晶画面にメッセージが出て、周りに知らせてくれるんです。本体もそうだけど、バッテリーがついてるからすごく重くて。お風呂に入るとき以外ずっとつけてなきゃいけないから、邪魔くさくはあるんですけど」 一命を取り留め、仕事にも復帰を果たした。しかしもともと糖尿病患者で、心筋梗塞ももとをただせばそこに行き着く。糖尿病は万病のもとといわれるゆえんだ。 「親父も糖尿病で、食道静脈瘤破裂で死んでいます。母親が親父のために糖尿病食を作っていたんですけど、後で母親に聞いたら、隠れて買い食いしてたみたい。ダメダメな患者だったんだなと。糖尿病の原因の多くは遺伝で、自分は病気とダメな部分、両方を受け継いじゃった(笑)」 糖尿病歴は長く、父が亡くなった翌年、37歳のとき発症。予兆はやはりあったそう。 「まず目に出たんですよね。テレビを見ていたら洋画の字幕がぼやけるようになって、ある日立ち上がったら、そのまま倒れて救急車で運ばれて」 血液検査をすると、血糖値が通常100mg/dL前後のところ、630mg/dLまで上がっていた。 「その場で“今すぐ入院です!”って言われました。なんでも病院歴代2位の記録だったそうです(笑)」 と自虐する。