初陣森保Jの背番号「10」中島翔哉はなぜ存在感を示すことができたのか?
「心の底から大好きなサッカーを楽しみながら、上手くなりたいという気持ちを常に抱くことを自分は一番大事にしてきたので」 東京・八王子市で生まれ育った中島は地元のサッカークラブに所属しながら、さらなるレベルアップを求めて、小学校2年生に進級した2002年から週に一度、東京ヴェルディのスクールに通った。 ある日の練習。ヴェルディの黄金時代を支えた守護神で、前年に現役を引退していた菊池新吉コーチ(現川崎フロンターレGKコーチ)が182cm、80kgの大きな体を使って、中島が仕掛けたドリブルを邪魔した直後だった。 「ズルいよ、インチキだ」 練習場に響き渡った可愛い叫び声は、すぐに泣き声へ変わった。サッカーが大好きでたまらない小さなドリブラーは同時に、超がつくほどの負けず嫌いな性格の持ち主でもあった。泣き止んだ直後の中島が取った行動を、菊池コーチは懐かしそうに語ってくれた。 「泣かしちゃったことを謝ったら、僕を抜こうとドリブルでまた向かってきた。本当に面白い子だと、当時から感じましたよね」 誰にも負けたくない気持ちは昨夏に新天地を求めたポルトガルの地で、屈強で大柄なディフェンダーたちへ仕掛け、スピードと敏捷性で抜き去るドリブルをさらに磨きあげる糧にもなった。 放っておけば日が暮れるまでボールを触っていたい性格も、小学生時代から変わらない。母方の従弟である一学年下のDF小池龍太(柏レイソル)と、誰もいない早朝のグラウンドでボールを蹴り合い、放課後も時間を合わせて再びボールを追った。 小池が伝え聞いた話では、中島はボールを教室へ持ち込み、足元に置いて授業を受けたという。当然のように担任教師から怒られ、ボールを取り上げられた。まさに人気漫画『キャプテン翼』の主人公、大空翼の小学生時代をダブらせる。苦笑しながら小池が振り返る。 「でも、翔哉は怒られても素直に聞くようなタイプではないので。自分をもっている点が、翔哉のいいところかもしれないですね。だからこそ、すごい選手になったと思っています」 3年生に進級するとヴェルディのスクールに加えて、個人の技術を徹底して高めることを哲学として謳う、クーバー・コーチング・サッカースクールの日野校にも入校する。週1回の練習へ、中島はブラジル代表の黄色いユニフォームを着て参加していた。 小学校時代のお気に入りは、FCバルセロナで頭角を現し始めていたリオネル・メッシと、ブラジル代表でも圧倒的な存在感を放っていた魔術師ロナウジーニョ。そして、当時を知る誰もが笑顔で口をそろえる。「あのころのまま、大人になった感じですよね」と。 だからこそサッカーを「楽しむ」ことを、いま現在も追い求める。コスタリカ戦の後半。相手が中も縦もコースをふさいでくると、個の力による突破から一転してチームメイトたちとのコンビネーションを駆使する。まさに変幻自在。中島の周囲にだけ、意のままに支配できる別空間があった。