銀行の「営業修行」で果たした「内向き」からの脱却 ハウス食品グループ本社・浦上博史社長
日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年12月30日-2025年1月6日合併号より。 【写真】この記事の写真をもっと見る * * * 祖父が創業し、父が大きく育てたハウス食品へ入る前に、銀行員を約6年、務めた。創業家の後継候補の子どもが社会人になるとき、いきなり親の会社へ入らず、取引先など他社で「修行」する例は多い。ただ、「お預かり」として、大事にされるのがほとんどだろう。米ボストン大学の大学院への留学から帰国後、1991年9月に入った住友銀行(現・三井住友銀行)の行風に、そんな甘い対応はない。 東京都心の丸の内支店へ配属され、外国為替課と融資課で約1年ずつ銀行業務のイロハを学び、3年目は取引先課へ移って企業回りを始めた。大阪が本拠だった同行は、丸の内地区ではなかなか取引を増やせない。支店長は、照準を成長著しい流通業界に合わせ、言い渡した。 「きみは新人だから、既存の取引先は回らなくていい。営業は飛び込み専門だ。支店から片道1時間半ならOKだ」 流通業界約50社のリストをつくり、先輩に1社1枚にまとめた調査資料をみせた。すると、バブルの膨張に乗って危ういところや取引に成長性がみえないところを「いかなくていい」と、仕分けてくれた。残った分を鞄に詰め、毎日、1人で営業へ出かける。電車の前払いカードを、支店で渡されていた。 だが、知らない会社の扉をたたくのは、勇気が要る。 兵庫県西宮市で生まれ、小学校3年生までいたが、外へ出て友だちと一緒に過ごすよりも、自宅の広い庭で独り遊んでいた。幼稚園のころは昆虫好きで、昆虫の絵ばかりを描いて「昆虫博士」と呼ばれた。「内向きの少年」だった、と言える。 ■チーム球技が苦手独りで音楽を聴き「内向き」が続く 小学校4年生になるとき、父の仕事の関係で東京へ引っ越したが、知らない土地への転居や転校が嫌だった。新しい学校でも、選手同士が息を合わせるチーム球技は苦手。父が買ってくれたクラシック音楽のレコードで独りベートーヴェンを聴き、「内向き」は続いた。 そんな自分が、社会人になって、初対面の人に銀行との取引を申し込む。試練だ。目標の企業の最寄り駅で降りると喫茶店へ入り、1枚の資料をみながら「どういう材料があるか」と攻略法を考えた。父がときおりみせた仕事への厳しい姿勢と表情が、蘇る。米大学院で学んだこととは異次元の「根性一発」の世界へ、自らを奮い立たせた。