最近、“ポリコレ”に配慮しすぎ?「政治的な正しさ」を考える──連載:松岡宗嗣の時事コラム
「ポリコレだ」と言われる場面
どんな場面で「ポリコレ配慮だ」という揶揄が起きやすいか。特に社会的マイノリティをめぐって「これまで使われてきた言葉の言い換え」や「映像作品の多様性に関する表現」などの場面が多いのではないかと思う。 「言葉の言い換え」の観点では、例えば色鉛筆の「肌色」は、人種によって異なることから現在は「うすだいだい」に変わっている。または「ビジネスマン」という言葉は、企業で働く人は男性だけではないことから「ビジネスパーソン」と言うことが増えている。 「メリークリスマス」という言葉は、必ずしも相手がキリスト教徒とは限らないことから「ハッピーホリデー」に言い換えられることもある(当然だがメリークリスマスと言ってはいけないということではない)。近年は交通機関のアナウンスなどで「レディース・アンド・ジェントルマン」という呼びかけを、「オール・パッセンジャーズ」や「エブリワン」といった性別を特定しない言い方に変える動きもある。ノンバイナリーなど男女二元論にあてはまらない人もいることが背景にある。 こうした言い換えには、必ず「言葉狩りだ」と批判の声があがる。「レディース」「ジェントルマン」という言葉を一切言ってはいけないのか、という反応もしばしば目にするが、当然そうではない。あくまで不特定多数に対して呼びかける際は、男女二元論にあてはまらない人が現実に存在しているのだから、間口を広げ言葉を工夫し、よりインクルーシブな環境を目指すことは必要な取り組みだろう。 人々のイメージは「言葉」によっても形作られる。例えば「看護婦」という言葉のように、ケアを女性のみに結びつけるイメージは根強い。だが、実際に病院などで看護に従事しているのは女性だけではないことを多くの人が実感している。そのため、「看護師」と言い換えることについて「ポリコレ」と揶揄されることはないだろう。 言葉の言い換えの背景にある社会状況をリアルに実感したり、身近に感じているかどうかも「ポリコレ」と揶揄されるかどうかの線引きの一つなのかもしれない。