最近、“ポリコレ”に配慮しすぎ?「政治的な正しさ」を考える──連載:松岡宗嗣の時事コラム
社会的な不均衡を調整するための「ポリティカル・コレクトネス」が、冷笑や揶揄の道具になってしまっている。政治的な正しさとは何か? ライターの松岡宗嗣が考える。 【写真を見る】ドラマ『SHOGUN 将軍』が米エミー賞史上最多18冠を受賞
ドラマ『SHOGUN 将軍』が米エミー賞史上最多18冠を受賞した際、SNSでは「日本人が監修しただけあって出来が良かった。ポリコレに配慮していないところが最高だった」という投稿が注目を集めた。というより、この投稿に対して「むしろ監修が入ることこそがポリコレだ」という多くのツッコミに注目が集まっていた。 これまでハリウッド作品が描く日本は、西洋視点でステレオタイプに描かれることが多かったが、本作は主演の真田広之氏がプロデューサーも務め、日本の時代劇専門スタッフが参加して作られたという。西洋的なまなざしのみに陥らず、アメリカ社会においてマイノリティである日本側の視点を重視し制作したことは、SNSでの指摘のように「ポリティカル・コレクトネス」の反映と言えるのかもしれない。 一方で、『SHOGUN』は単に歴史に対して忠実に表現したという意味でポリティカル・コレクトネスではなく、むしろ「史実を捻じ曲げてまで人種や性的マイノリティを登場させることなど、多様性を無理やり入れ込むことがポリコレでは」という趣旨の投稿もあった。 「政治的な正しさ」と訳される「ポリティカル・コレクトネス」だが、その意味や定義は曖昧なまま使われている。「ポリコレ」と略され、揶揄の言葉として用いられていることがほとんどだろう。 実際ポリティカル・コレクトネスの意味や射程を定義することは難しい。歴史的には、左派の間でも自嘲や皮肉の言葉として用いられていたこともあったという。日本でこの言葉がアメリカから輸入されるようになったのは、1990年代と言われているが、広く使われるようになったのは2010年代以降だろう。アメリカの状況と同じく、「言葉狩りだ」「表現規制だ」といった揶揄の言葉として広がっていった。(アメリカでは現在、ポリティカル・コレクトネスよりも「ウォーク」(目覚めたの意味で、差別などの問題に対し意識を持つこと)という言葉が同様の文脈で使われることが多いだろう)