まもなくノートルダム大聖堂が一般公開へ、特別な許可を得てナショジオが「復活」を記録した
12月8日再開 大規模火災から5年、途方もなく困難な再建事業はどのように進んできたのか
ノートルダム大聖堂は800年余りもの間、フランス人の生活の中心に位置し、宗教上だけでなく、社会全体の歴史的な出来事の舞台ともなってきた。歴史を通じて、ノートルダムはおおむね爆撃や火災とは無縁で、世界最多の来場者数を誇る歴史的建造物の一つとなった。世界中のカトリック教徒にとって、ここが神聖な祈りの場であることは言うまでもない。 ギャラリー:ナショジオが記録し続けたノートルダム、その復活の軌跡 壊滅的な被害を及ぼした大規模火災は、ノートルダム大聖堂の尖塔の土台に近い、古い木造の屋根裏で始まった。それは2019年4月15日の午後6時を少し回った頃のことで、聖堂内ではミサが行われていた。 あれから5年半がたち、ノートルダムは息を吹き返した。12月上旬には、よみがえった大聖堂でパリ大司教がお祝いのミサを執り行う。その週には正面中央の大扉が開かれ、一般の人たちも中に入れるようになる。 ナショナル ジオグラフィックは特別な許可を得て、この瞬間を迎えるために建築家、職人、科学者が長い時間をかけて成し遂げてきた仕事を間近で見ることができた。私(著者のロバート・クンジグ)は2021年夏、修復工事が始まろうとしていた時期に再びパリを訪れ、火災後の現場に足を踏み入れた。 そして24年夏にまた現場に舞い戻り、工事の最終段階を見学した。この3度目の来訪で私は、修復に携わった大勢の人々が成し遂げた壮大な事業に目を見張った。彼らはこの精緻な中世の建造物を保全するだけでなく、生きた教会としてよみがえらせたのだ。 火災後、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は大聖堂を「かつてないほど美しく」修復するよう命じ、2024年までに工事を完了するという野心的な目標を掲げた。財源には火災後に集まった8億4600万ユーロ(約1400億円)の寄付金が充てられることになった。 マクロン大統領は火災前の古い尖塔を復元するのではなく、構造的に新しい趣向を取り入れたい考えを示した。元通りに復元すべきだと考えている人たちはこれに肝をつぶした。 火災前から行われていた改修工事の責任者であるフィリップ・ビルヌーブもその一人だ。彼に言わせれば、モダンな尖塔を取り付けるのは名画『モナ・リザ』の鼻の形をいじるようなもの。最終的に復元派の主張が通り、ノートルダムは火災前の姿、つまり19世紀に改修を手がけたウジェーヌ=エマニュエル・ビオレ=ル=デュクが残した姿に修復されることになった。「私たちには手をつける権利はありません。よみがえらせるだけです」とビルヌーブは言った。 とはいえ、大聖堂の内部は大きく変わり、この世の誰も見たことがないほど明るくなった。壁もステンドグラスも、絵画や彫刻も、汚れを除去したうえで修復された。すべてが一斉に元の姿を取り戻したのは、19世紀以来のことだ。 2024年12月7日土曜日、フランス政府は修復を終えたノートルダム大聖堂をパリ大司教の管轄下に戻す。大司教は配下の大勢の司祭を従えて、正面の扉をたたくだろう。すると、大聖堂の扉は再び世界に向かって大きく開かれ、巨大なパイプオルガンが長い眠りから目覚めて、高らかに感謝の調べを奏でるだろう。 ※ナショナル ジオグラフィック日本版12月号特集「復活するノートルダム」より抜粋。
文=ロバート・クンジグ