「僕が死んでいなくなったら…」天国の夫から奇跡のラブレターに妻「執念でしょうね」 能登半島地震から1年
昨年1月1日、能登半島は地震による壊滅的な被害に見舞われた。記者は発災直後の3日、避難所となっていた石川県・輪島市役所で、夫を亡くしたばかりの一人の女性に出会った。女性は、記者を倒壊した自宅に連れて行き、夫の最期や生前の思い出について涙ながらに語った。【がれきの下に消えた夫との夢 輪島塗の作品を置ける交流の場を…「ここに翔ちゃんが埋まってたんです」】 そんな彼女が、1年ぶりに再会した記者に語ったのは、「天国の夫からラブレターが届いた」という小さな奇跡だった。 【写真】幸せいっぱい 佳織さん夫妻の「最後の夫婦写真」 * * * 末藤佳織さん(40)と夫の翔太さん(当時40)は、結婚6年目の2022年、「輪島塗を勉強したい」という佳織さんの願いをかなえるため、実家のある熊本県から輪島市に移り住んだ。 佳織さんは県立輪島漆芸技術研修所で漆塗りを学び、翔太さんは地域おこし協力隊として県立輪島高校で教育支援。地域の人々にあたたかく迎えられ、新天地に根を下ろしはじめたころだった。 24年の元日、翔太さんは地震で倒壊した自宅の下敷きになり、命を落とした。 佳織さんは翔太さんの遺骨とともに、熊本の実家に身を寄せた。空っぽの心で、翔太さんの死に伴う膨大な事務手続きを淡々とこなした。 そんな中、輪島の研修所から「卒業制作を完成させませんか?」と電話があった。研修所は被災したが、金沢美術工芸大学が施設を提供してくれるという知らせに、佳織さんは「やります」と即答した。 「翔ちゃんとは、自分を信じて、できることに一つずつ取り組む生き方をしてきたから」 翔太さんの四十九日が終わるとすぐに金沢市に向かい、大学の宿舎やホテルに泊まりながら作品と向き合う日々が始まった。
だが、何をしても、何を見ても、美しいと感じなかった。 どれだけ金粉を散りばめても、鮮やかな色をのせても、綺麗なのか分からない。佳織さんは、震災前に決めていた作品のイメージである、「優しく、やわらかく、丸く」という言葉を頭の中で唱え続け、なんとか直径30センチほどの蓋物(ふたもの)を完成させた。 ■なくなる命と、新たに誕生する命 5月に研修所を卒業したが、すぐに心と体が悲鳴をあげはじめた。 胃が痛んで食欲が落ち、体がだるくて起き上がれず、漆に触る気になれない。外に出るのも人に会うのもしんどく、金沢で間借りしている漆器工房の一室に引きこもる日が増えた。 「今やるべきことは、死んでしまった心のリハビリだ」 こう考えた佳織さんは、お盆を迎えるころ、会いたい人に会うための旅に出た。 能登で被災し、広島県の宮島に移住した友人夫婦をたずねると、生まれたばかりの赤ちゃんと一緒に出迎えてくれた。なくなる命があれば、新たに誕生する命もある。その循環を、心から「美しい」と感じた。 輪島に戻ると、震災3日前に翔太さんと最後に外食をしたとき、一緒に楽しんだ親友の家に泊まった。親友の両親も交えた4人の食卓では、家族団らんのぬくもりをかみしめた。一人で食べる味気ない食事とは大違いで、久しぶりに「おいしい」と思えた。 「震災で何もかもなくなったけど、最後に残ったのは、人とのつながりでした」