「僕が死んでいなくなったら…」天国の夫から奇跡のラブレターに妻「執念でしょうね」 能登半島地震から1年
支えてくれたのは、友人や家族だけではない。この世を去った翔太さんもまた、佳織さんに寄り添い続けているという。 「夫の遺体を見たとき、直感的に『翔ちゃんはこの中にいない』と思いました。肌のぬくもりを求めると、一人ぼっちの寂しさに引きずりこまれる。でも翔ちゃんの魂とつながっていると信じられると、心があたたかくなります。翔ちゃんは今ごろ、好き勝手にいろんなところに行って、会いたい人に会っている。そう考えるほうが、幸せなんです」 ■天国からのラブレターに書いてあったのは… 翔太さんの“魂”をひしと感じた出来事がある。 震災から間もない4月、突然天国から「ラブレター」が送られてきたのだ。届けてくれたのは、熊本在住のシンガーソングライター・ふたばたけしさん。翔太さんと佳織さんの共通の友人だ。 佳織さん夫妻は23年夏、「私たちがほれこんだ自然豊かな地で是非歌ってほしい」と、ふたばさんを輪島に招き、ライブを企画した。ライブ後、翔太さんは「能登に来て感じたことを歌にして」と“むちゃぶり”し、ふたばさんは熊本に戻ってからすぐに曲を作った。だが、完成した曲を聴くことなく、翔太さんは旅立ってしまった。 震災後、ふたばさんは佳織さんに聴かせてよいものか、ひどく悩んでいたという。 理由はその歌詞にある。 <幽霊とかお化けとかそんなの全然信じられないから 僕が死んで骨になったら君が海に流してほしい 僕は海になって雲になって雨になって山に降って川になって 君の元へ君の元へ帰ってくるよ> <死んだらずっと墓の中なんて耐えられない そもそも出不精な僕のこと引っ張り回したのは君じゃないか おかげでこんな世界のことすっかり好きになっちゃったよ>
「水になって」と名づけられた曲を聴いた佳織さんは、「こんなことってあるんだ」と驚いた。 ■曲を届けた「翔ちゃんの執念」 なぜ震災前に、こんな歌詞が書けたのか。 ふたばさんは「能登の景色を見たら浮かんできて……」と戸惑っていたという。佳織さんは、翔太さんがいない絶望の中でこの曲が届いたことに、「なんとか思いを伝えたいという翔ちゃんの執念でしょうね」とほほえむ。 「翔ちゃんは私と一緒になって幸せだったのかなって、ずっと悩んでいました。歌詞にあるように、私が連れ回して輪島に来たせいで、こんなことになったんじゃないかって。でも、二人だから見ることができた世界があると気づいて、救われた気がしました」 ふたばさんは、「この曲を誰かに届けようとする限り、翔太さんの道も終わらない気がする。声が出る限り歌い続けたい」と言ってくれた。 佳織さんは翔太さんを失った直後、「なんで私だけ生き残ってしまったのか」という答えのない問いの中でもがいた。1年経った今も、どうしようもなくふさぎこむ日はある。それでも、自分の心に正直に、せっかくもらった命を意味あるものにしたいと思えるようになった。 「被災者一人ひとりが自分の人生を受け入れて、納得して、前に進むこと。ポジティブという軽い言葉はそぐわない“心の復興”こそが、真の復興なのでしょうね。翔ちゃんの実家に泊まって思い出話で盛り上がったり、ふとしたときに『今いい風が吹いたね』なんて話しかけたり、今までと変わらず翔ちゃんが存在する日常を大切にしたいです」 「水になって」の歌詞は、こんな言葉で締めくくられている。 <僕が死んでいなくなったら二人の冒険思い出して 思い出し笑いでふと涙がこぼれたら それは僕だから> (AERA dot.編集部・大谷百合絵)
大谷百合絵