19世紀英国の女性をリアルに描いたジェーン・オーステイン、独身を貫いた生涯と結婚観とは
結婚の申し込みは命綱だった
結婚の申し込みは、一部の女性とその家族にとっては命綱だった。 多くの人の運命は、相続をめぐる容赦ない法律によって生まれながらに決定づけられていた。家長である父親が死ぬと、その財産のほぼすべては、長男が相続した。 娘しかいなかった場合、財産はその家の女性たちを素通りして、最も血縁関係が近い男性のものになった。その結果、妻や娘たちは収入源を失ってしまう。 『高慢と偏見』では、ベネット家の財産もそのような「限嗣相続」の対象となっていた。つまり、ベネット氏の死後はその遺産を妻と5人の娘ではなく遠いいとこのコリンズ氏が相続することになっていたのだ。 女性が家族の財産の分け前を受けられる唯一の方法は、結婚持参金だった。そこで、女性たちは何らかの物質的安定を得るためにも結婚する必要があった。 支配階級の結婚は、2つの家族間の取引でもあった。花婿には妻を支えられるだけの経済力が求められたし、花嫁も、家族がそのために取っておいた持参金を用意する必要があった。 オースティンの時代、広大な土地の相続権を持つ男性からのプロポーズを取り付けることは、多くの若い女性の夢だった。実現すれば、経済的地位と社会的地位が約束された。爵位と特権、財産を持つ貴族であればなおよい。 長男が一家の土地をすべて相続する一方、次男以下は自分で仕事を見つけなければならなかった。支配階級の子息たちにとって、体を使った労働は論外だった。 商売も、儲かる可能性はあったが、低俗な仕事とみなされていた。それで裕福になったとしても、貴族階級に属する者から同等に扱われることはなかった。 社会的地位を維持したいなら、聖職者、法律家、または軍人になるしかなかった。
姪には結婚を推奨
結婚を取引とみなすことが当たり前だった時代に、オースティンが小説や個人的な手紙の中で愛のある結婚を何度も擁護していたことは、意外だと思われるかもしれない。 『高慢と偏見』のなかでジェーン・ベネットは、妹のエリザベスに対して、「ああ、リジー。愛のない結婚をするくらいなら何をしたっていい」と訴えた。現実においてもオースティンはその考えを貫き、姪のファニーへの手紙のなかで次のように書いている。 「愛情のない関係に縛られるみじめさに匹敵するものはありません。ある人を慕いながら別の人に縛られる。あなたはそのような罰を受けるに値しません」 オースティンと姉は生涯独身だったが、その状況がうらやましがられるようなものではないことは、本人も認めていた。いつも通り皮肉と機知に富んだファニーへの手紙のなかでも、こう書いている。「独身女性は、貧困に陥るというひどく不愉快な傾向があります。これが、結婚を推奨する強い論拠です」 支配階級の独身女性にとって、就職の機会はひどく限られていた。遺産を相続するか、家族からの支援を受けなければ、ほとんどの女性は女学校の教師になるか、地主の家の家庭教師になるくらいしか収入を得る道がなかった。オースティンの小説『エマ』にも、ジェーン・フェアファクスという、若く聡明だが、財産もコネも持たずに、独身のまま家を出されて家庭教師の職を受けざるを得なくなった女性が登場する。