何を書かれても揺るがなくなった――紗栄子、「偽善」「売名」無責任な声にもぶれない理由
「『人のお金で生活している』というイメージで見られることに長年苦しみました。でも、自分の美徳として『それは違うんだよ』と声を大にして言う選択肢はなかった」 支援活動をすれば「偽善」「売名」とたたかれ、何げない朝食の献立をSNSにアップしただけで「養育費のおかげ」と容赦ない言葉を浴びせられる。本来、人は多面的であるが、勝手に解釈された一面の印象だけで、紗栄子は語られてきた。彼女はバッシングをどう受け止め、現在まで歩んできたのか。(文:岡野誠/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
生活のため、花開いた商才
「私って何者かよくわからないですよね。本当は一つの言葉で説明できたほうがいいと思います。モデル、タレント、経営者……全て間違っていない。でも、私の中ではどれもしっくりこない。一つのことを極めているわけじゃないから、肩書として言い切るには申し訳なさを感じてしまう。とはいえ、いずれも私にとっては必要な仕事なんですよね」 14歳の時から芸能活動を始め、中学卒業と同時に宮崎から上京。16歳の2003年から『学校へ行こう!』(TBS系)のレギュラーとなり、特異なキャラクターで脚光を浴びた。翌年にはNHK連続テレビ小説『天花』、翌々年にはドラマ『ドラゴン桜』(TBS系)に出演。芸能人としての階段を駆け上がっていた時期から、洋服のプロデュースや販売も手掛けていた。 「最初の頃のお給料はもちろん安いですし、衣装は自前。バイトする暇もなく働いていたのに時給換算してしまうと信じられない額になるくらい(笑)。生活に全然余裕がありませんでした。でも親に啖呵(たんか)きって東京に出てきた手前、帰れない。17歳の頃、『JUNON』で私の着た洋服が売れたと当時の出版社の方に聞いたんです。その時、自分でプロデュースしようと思った。製造会社にイメージなどを伝えて作ってもらい、雑誌の衣装クレジットの横に自宅の電話番号を載せて、通信販売を始めた。そしたら、随分と生活が楽になったんです」