「私は生きたい」 ウクライナで末期がんと闘う少女の最期の日々をピュリツァ―賞写真家が追う
「娘を救う時間が奪われた」
ミスト・ドブラはウクライナ南西部のルーマニア国境に近い地方都市チェルニウツィーに隠れるように佇んでいる。戦場から遠く離れていても、戦争の心理的・身体的トラウマはつねに人々の心に影を落とす。この施設が保護しているのは孤児、避難民、DV(ドメスティックバイオレンス)のサバイバー、末期患者や重い障がいを持った子供たちだ。 約250人の女性と子供たちが、ミスト・ドブラの敷地内にある6つの建物に居住している。同シェルター創設者のマルタ・レフチェンコは、敬意と優しさと忍耐を併せ持つ医療従事者のコミュニティを育んでいる。空襲警報のサイレンが鳴り響くことはほとんどなく、市街地近くに軍事施設もないため、標的にされる可能性も少ない。 2022年2月24日、ロシアによる軍事侵攻が始まったとき、ソーニャと母親のナタリアは治療のためにキーウへ行く準備をしているところだった。だが、首都周辺の道路は危険な状況に陥り、ほとんどの医療従事者が戦傷者治療に駆り出された。 ソーニャの化学療法は中止を余儀なくされた。彼女はナタリアと、オーマトディト小児病院で治療を受けているほかの子供たちとともにポーランドへ行くことになった。弟と姉は世話人と一緒にミスト・ドブラに残った。 治療を待つ子供にとって、この戦争は害悪でしかない。ポーランドの首都ワルシャワに到着した後、ソーニャは時間のかかる検査をまた最初から受けたが結局、治療を受けられないまま2ヵ月以上が過ぎた。 業を煮やしたナタリアは、治療再開の望みをかけて、娘とともに帰国した キーウには安全が戻ってきていた。ナタリアはソーニャを再び、オーマトディト小児病院へ連れて行った。その頃、頭部の痛みは悪化し、眼球に圧力がかかるようになっていた。7月、右の眼窩奥に新たな腫瘍が見つかった。 ナタリアは、数ヵ月の治療の空白期間がソーニャの運命を変えたと考えている。治療を受けらなかったせいで、「娘を救うための時間が奪われた」と彼女は言う。 8月にソーニャは右眼球の摘出手術を受け、完全に失明した。外科手術後に放射線治療を受けると、2024年3月まで小康状態が続いた。私が彼女と出会ったのは、その3ヵ月後のことだ。