柳宗悦も認めた「鳥越のすず竹細工」が120年に1度の危機 最後の担い手・柴田恵の伝統をつなぐ想いとは
佐々木 彩子
平安時代から伝わるとされてきた岩手県一戸町鳥越地区の「すず竹細工」が、編み手の高齢化・後継者不足に加え、120年に1度という材料の枯死に見舞われ、風前のともしびだ。それでも今やれることを模索し、後世につないでいこうとする人がいる。地元鳥越で生まれ育った作り手・柴田恵さん(66)。最後の担い手ともいわれる柴田さんにお話を伺った。
たたずまいが繊細で美しく、しなやかで実用的
生産数が激減し、今や希少品となっている鳥越のすず竹細工を、東京都文京区にある『gallery KEIAN』で見ることができた。ギャラリーのオーナー・堀惠栄子さんは、自然素材のかごなど、編むことから生まれる手仕事に魅了され、自宅の一角にギャラリーを併設。日本各地のかごを中心に展示紹介している。
堀さんは柴田さんと20年ほど前から親交があり、昨年クラウドファンディングで資金を集め、柴田さんを通して鳥越のすず竹細工の歴史と魅力を後世に伝えるための本の出版プロジェクトを実施。今年5月に『かごを編む 鳥越のすず竹細工とともに、柴田 恵』(リトルモア刊)を上梓した。 実際に鳥越のすず竹細工を手に取ると、まずその軽さに驚く。想像していたよりもずっとしなやかで繊細。秋の稲穂のような黄金色と艶めいた竹の質感にも心を奪われる。経年変化であめ色に育っていく過程も楽しめるという。竹細工と聞いて素朴で力強いものをイメージしていると、いい意味で裏切られる。
鳥越の特徴である網代(あじろ)編みは、隙間のない緻密な編み目で芸術品を思わせるが、暮らしの道具や特産品として日常の中で使われてきたものだ。見た目は華奢(きゃしゃ)でも、丈夫で耐久性に優れている。 一番の魅力はどこにあるのか、作り手である柴田さんに尋ねてみた。 「人々の生活に身近であること。裁縫箱、台所のざる、畑に背負っていくかご、弁当箱……幼い頃からどの場面でも普通にあるもので、各家庭で作っていました。用途によって異なりますが、10年20年は使えるものがほとんどです」