「相手を早くあやめないとやられるのが戦争」元ゼロ戦パイロットが平和訴え
98歳の原田要さん「最後の講演」
元ゼロ戦パイロットで戦争反対を訴え続けている長野市の原田要さん(98)の講演会が14日長野市内であり、300人近い市民らが集まりました。 【動画】元ゼロ戦パイロット・原田要さん「戦争の罪悪で世界一、非人道的な人間に」 市民ら有志の「戦争を考える会」の主催。高齢のため講演は取りやめていた原田さんですが、主催者の「母親や若者たちのために」との願いに応えての「最後の講演」になりました。政府の集団的自衛権容認をめぐる論議の高まりもあって、中学生から高齢者まで幅広い聴講者が「戦場からの声」に聴き入りました。
かつての敵パイロットと平和の誓い
原田さんは長野中学(現長野高校)卒業後、1933(昭和8)年に横須賀海兵団入団。1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃、1942(昭和17)年6月のミッドウエー海戦、同年10月のガダルカナル島攻撃にゼロ戦パイロットとして参加。ガダルカナルで被弾、重傷を負い、1945(昭和20)年には北海道で戦闘機などの搭乗員の指導教官になりました。同年8月の終戦で帰郷。1968(昭和43)年以降、長野市内で託児所や幼稚園を開設、子供たちとともに穏やかな暮らしを続けていました。 戦争反対を強く訴え始めたきっかけは、イラクのクウェート侵攻、多国籍軍参戦・空爆で始まった1991年の湾岸戦争。夜空に飛び交う砲弾などをテレビのニュースで見た若者が「テレビゲームみたいだ」と言ったのを聞いて「これではいけない」と命の大切さを語り継ぐ決心をしました。 また、かつての敵パイロットとの再会も果たし、平和の誓いを交わしました。
敵機を追い詰めると“見逃してくれ”
原田さんは戦闘機の模型やガダルカナル島の地図などを示しながら米軍戦闘機との空中戦の様子などを説明。「子供のころからお国のために命を差し出す誇りを持っていたが、戦争という罪悪の中で自分は非人道的な人間になってしまった」と話しました。 「敵の戦闘機を追い詰めると、相手のパイロットが“見逃してくれ”といったそぶりを見せるんです。しかしそこで手を緩めると今度はこちらが撃たれる。相手を早くあやめないと自分がやられる。それが戦争です」と過酷な戦場の姿を伝えます。 また、ミッドウエー海戦で日本が大打撃を受けた後、情報漏れ対策のためパイロットら100人以上が九州で軟禁状態になったといいます。「しかも報道機関も含め、大敗のミッドウエー海戦が日本の被害は小さく、アメリカの被害は大きく伝えられたのです」と、国民に事実を知らせないための情報操作が公然と行われたことを指摘しました。 その半面、ミッドウエー海戦の前には、街の市民から「海軍さん、今度はミッドウエーに行くらしいね」と聞かれ、軍事機密にあたる情報が堂々と話題になっていることに驚いたといいます。 何回も命を落としそうになった原田さんは、「戦場では、お母さんの話を口にし始めた兵隊さんはもう死ぬのです。天皇陛下万歳と言う人はまだまだで、『お母さん』と言う兵隊さんはもうだめなんです」と話しました。 会場からの質問も受けた原田さん。2児の母という女性から「2度と戦争をしないために母としてすべきことは何ですか」と聞かれ、「子供にとってお母さんの存在はいかに大きいか。お母さんの両肩に日本がかかっているんです。お母さんに抱かれて信頼しきっている子供の姿は神々しい。これが平和の源だと考え、感激します。そのお母さんが頑張ることで戦争をなくすことができるのです」と答えていました。