Jリーグで進む残酷なヒエラルキー ギラヴァンツ北九州・小林伸二前監督「国内では1~2チーム、超ビッククラブを作る流れにある」
【J3最下位に逆戻り】 2023年はより難しい状況となった。 「本当はヘッドコーチとGKコーチに残ってほしかったんですよ。でも...指導者すら引き抜かれる時代ですから」 自身はスポーツダイレクターとして、大卒の若い選手たちを集め、経験のある田坂和昭監督がそれを率いる体制をイメージした。今一度フィジカルを上げて戦っていく方針を示したが、うまくはいかなかった。 「2~3年かけて選手を育てたのに、外に出ていく。そういった選手はシーズンの80%は試合に出場しているわけです。残った選手は1人を除いて、ほとんどが30%~50%だけ出場してきた選手で、彼らでチームを構成しなきゃいけないんです。大まかに言うと、そこに大卒の新人選手を加えるという構成でしたね」 田坂は最下位のチームが9月2日の第25節FC今治戦に敗れ、ひとつ上の21位と勝ち点6差になった後に辞任。小林が再び監督として指揮を執ることになった。 小林はシーズン終盤、今季から導入されるJ3下位チームとJFL上位チームとの入れ替え戦(プレーオフ)を戦う覚悟までも決めていた。 「その時だけ勝とう、としても無理だと思っていました。だからリーグ終盤はプレーオフを想定した戦い方をしていました」 11月26日のJ3リーグのホーム最終戦、試合中にスマホを見たコーチングスタッフが駆け寄ってきた。 「なくなりました」 「何が?」 「プレーオフです」 プレーオフの対象となっていたJFL2位のレイラック滋賀が、試合終了間際の失点でドローに終わり、変わって2位に浮上したブリオベッカ浦安にはホームスタジアム規定によりJ3リーグ参加資格がなく、プレーオフ開催を免れたのだった。 こうして小林の5年間は幕を下ろした。
【上位クラブへ選手が移る流れは止められない】 昇格1年目に成績が急上昇。しかしここで上位カテゴリーへの昇格を逃すと「草刈り場」となり、翌年以降危機的状況が訪れる。Jリーグでは似た出来事がたくさん生じている。近年ではJ2のロアッソ熊本、J3のテゲバジャーロ宮崎が躍進の後年に大きく順位を落としている。 その背景にはJリーグとヨーロッパとの関わりもある。小林はこう見ている。 「先ほども言ったように、Jリーグはいまや欧州5大リーグに選手を供給するリーグになっています。ではJリーグ自体がどうなっていくのか。世界のなかで『選手を供給する側』に回るなかで、『国内では1チームから2チーム、超ビッククラブを作ろう』という方向にすでに舵を切っていると思いますよ。 国内の流れで言うと、30年の歴史のなかで1998年に横浜フリューゲルスが合併吸収された際には『共存共栄』という考え方が強かったですが、今は競争に向かっている。 5大リーグに選手を供給するリーグという点で言えば、ポルトガルがそうですよね。限られた数のクラブが超ビッグクラブになっています。ベンフィカ、スポルティング、ポルトなどだけが世界に知られていて、放映権も獲得できる。フランスは5大リーグに違いありませんが、それでもパリ・サンジェルマンという突出した存在があり、その放映権によって国内リーグが潤うという。 Jリーグもそうなった時に、J2やJ3のクラブは国内リーグの上位クラブに選手が移っていく流れをますます止められなくなると思います」 一方で栄華を誇るチームはJリーグでもほんの一部だ。全60チームのうち、多くは決して潤沢ではない資金をやりくりしての運営となる。小林には現状を変えるため、ひとつの提案がある。 「もう少し複数年契約をした選手の移籍金の設定を考えたほうがよいのではと思うのです。現状は『この金額なら出ていける』という設定が先立っています。それと合わせて『この金額ならクラブに残せる』という設定ももっと考慮されたらな、と思います。 今の制度だとお金が残るのは、選手が1番、ひょっとしたら代理人が2番、そして3番目に会社(クラブ)ということになっています。会社になかなかお金が残らない。選手がチームを移る自由を尊重する一方で、チーム側も選手を残してチームの成績を上げて、クラブの営業成績も伸びて、お金を作るという選択肢がもっと生まれてくれば、と思いますね」 そんな考えが頭をよぎるが、目の前にある現場を戦わなければならない。小林が選んだ道は「地域に合うサッカー」だった。 「この北九州という地域がアグレッシブで、積極的なことを臨む地だと聞いて、やっぱりよく走る攻撃的なサッカーが喜ばれる。そう思ったんです。その基準に合った選手が入っていって、出ていく。そういう準備はやって、移籍マーケットに準備してきました」